非常識超越平和思想のすべて~遥かなるおっぱっぴーの世界へといざなう~

はじめまして。おっぱっぴー芸術思想家KeithUと申します。自分なりに考えた平和思想を綴りたいと思います。10年間、いろいろ宗教や思想や哲学、政治などを学んだ結果、それをベースに自分で世の中がどうすればよくなるのか?平和になるのか?という観点でオリジナルの思想を考えてみました。おっぱっぴー平和思想=非常識超越平和思想or非常識超越平和理論といいます。ツイッターでは天才とある程度評価されていて、令和哲学者ノ・ジェス氏の関係者の方にSAMURAI1000に推薦された経験あります。

おっぱっぴー三大理論

おっぱっぴー三大理論

 おはようございます。おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。

 今回は、おっぱっぴー平和思想とはちょっと違って脇道それた理論チックなことをご紹介いたします。その中でも、おっぱっぴー=意味不明という概念を考えるうえで非常に重要な三つの中心となる理論です。といっても大して中身がないのですが・・・(;^_^A 中身はないけど三大ってつけるとすごい理論みたいに聞こえるからそうしてるだけです(笑)(;^_^A( ̄▽ ̄;)主に、おっぱっぴー的パラドックスおっぱっぴー的マトリックスおっぱっぴー的ジレンマの三つありますが、それぞれ解説致します。

 

おっぱっぴー的パラドックス

 これは、まさに意味不明なくらいパラドックだよね?という概念です。もはやおっぱっぴーレベルで意味不明なパラドックス現象ということです。例えば、男女は愛し合っているといいながら対立関係に走りトラブルが絶えないような現象を言う・・・一見正しいようなことでもパラドックス に陥ると泥沼化する、ということです。浮気や、不倫や、夫婦喧嘩、成田離婚、コロナ離婚、晩婚化、少子化家庭内暴力。これらは本来なら愛し合うべき男女がやってはいけないことなのですが、人間は矛盾しているからこのパラドックスから抜け出せないのですね。また、他の例で言えば、宗教の対立などが挙げられます。世界にはいろいろな宗教がありますが、昔の例で言えばキリスト教が聖戦と偽り戦争をたくさん繰り広げたこととか、あとはイスラム教もテロをジハードと偽り派閥がたくさんできてお互いに対立している。そして、イスラム教のテロの場合は内部分裂だけに留まらず、シリア内戦などではアメリカやロシアや一般民衆までもが巻き込まれて本当に悲惨な戦争状態となっています。最近のニュースは見てないから現在どうなっているのかは分かりませんが、数年前までニュースをよく見てた時はトランプさんがロシア陣営の空港を空爆したり、逆にロシアがシリアを空爆したり、テロは内部分裂して争ってたり、または民衆の住んでいる地区に自爆テロを起こしたりと・・・本当に悲惨な紛争だと思いました。今現在でも、解決したという情報が入ってきてないのでいまだに泥沼化しているのでしょう。まさに宗教は一見正しいことのように思えても、間違った方向にいくとおかしなことになるといういい例です。極端な間違った方向に正義が行き過ぎるとこうなるのかと思います。これを、正義のパラドックスと呼んでもいいかと思います。正義は正しいけど、度が行き過ぎると戦争になる。つまり正義対正義の争いになるわけです。もちろんシリアの内戦でも、中東戦争でも宗教上だけの理由ではなく、政治や民族対立、資源問題などが複雑に絡んで戦争になってるので一概に宗教だけが原因とは言えませんが・・・

おっぱっぴー的マトリックス

 これは、同じくもはやおっぱっぴーレベルに意味不明なマトリックス現象というそのまんまの意味です。 例えば、一見GDPがトップで日本が経済大国に見えても政治が崩壊すれば国は終わるということです。豊かさに目を奪われて足元を見ないとマトリックの世界に陥るということです。いくら経済的に豊かでも、政治や社会制度が崩壊すると途端に国は立ち行かなくなるということです。だから、我々はみんなちゃんと世の中のことを考えないと国は崩壊するということですね。本来なら民主主義というのは国民が政治のことを考えるという意味だと僕は思ってます。政治家に丸投げしてそれで世の中がおかしくなっても、それは民主主義の意味をはき違えてるだけってことなので、政治家のせいだけにしても仕方がないんですね。国民主権というのは、国民が政治家を選び国民が主体となって政治を行う権利がある、という意味ですが逆に言えば政治家に丸投げするということはその権利を放棄してるってことになるわけです。権利を自ら放棄しているのに、政治家に文句だけ言っても仕方ないわけです。つまり、民主主義というものについて意識しないとこのおっぱっぴー的マトリックスに陥るということです。我々は本当に重要なことに目が行かずに、現実という名の仮想現実を見させられている( ̄▽ ̄;)

おっぱっぴー的ジレンマ

 これもそのまんまの意味で、おっぱっぴーレベルに意味不明なジレンマのことです。例えば、マルサス人口論などが挙げられると思います。これはマルサス先生が考案した理論なのですが、詳しくは知りませんが簡単に言うと「人口が増えすぎるとこの世界は食糧や資源不足が起きるので、私たちは飢餓や貧困問題をあえて積極的に解決する必要はない」といったものだと思います。これこそが、まさにおっぱっぴーレベルに意味不明なジレンマではありませんか?産めよ増やせよって言われるくらい、男女が愛し合って子供を授かることはいいこととされています。聖書にもそのようなセリフがあったかと思います。つまり、神様は僕らが結婚して子だくさんになることを大いに望んでいる。それが人間にとっての幸せなんだと。でも、人口が増えすぎると今度は食料や資源の枯渇問題が起きる?!まさにこれこそ板挟みの状態ですよね?幸せにみんななりたいけどみんなが幸せになろうとすると地球はおかしくなる。まさにおっぱっぴー的ジレンマだと言えると思います。それ以外にもみんなが必死に頑張って仕事をしてビジネスや経済活動を行い世の中がどんどん豊かで便利になることは一般的にはいいこととされてますが、行き過ぎると今度は環境問題が起きるというジレンマが生じます。私たちは経済と環境の板挟み、つまりジレンマに悩まされているわけです。経済と環境はトレードオフの関係にあるわけです。これは、環境経済学などでも言われていることかと思います。まさに、地球が抱える最大の問題という意味で、地球のジレンマともいえると思います。

 以上三つのおっぱっぴー理論について述べさせていただきました。おっぱっぴー平和理論とは直接は関係ないですが、これらの三つの問題を解決すれば世の中もっと平和になるのでは?と思う次第です。といってもすでに世の中はその方向に向かっていろいろな頭のいい学者先生方が解決に向かうべく必死に日夜研究されていることかと思います。

 今回も、ご一読ありがとうございました。

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この世の謎は深まるばかり・・・


 

 

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