非常識超越平和思想のすべて~遥かなるおっぱっぴーの世界へといざなう~

はじめまして。おっぱっぴー芸術思想家KeithUと申します。自分なりに考えた平和思想を綴りたいと思います。10年間、いろいろ宗教や思想や哲学、政治などを学んだ結果、それをベースに自分で世の中がどうすればよくなるのか?平和になるのか?という観点でオリジナルの思想を考えてみました。おっぱっぴー平和思想=非常識超越平和思想or非常識超越平和理論といいます。ツイッターでは天才とある程度評価されていて、令和哲学者ノ・ジェス氏の関係者の方にSAMURAI1000に推薦された経験あります。

ハロー効果虚構現象

ハロー効果虚構現象とは?

 おはようございます。おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。

 今回のテーマはハロー効果虚構現象という僕が考えた架空の用語です。「常識と非常識の循環プロセスと肯定的非常識をもたらす人たち」の記事でも少しだけ触れましたが、今回の記事では詳細について書きたいと思います。といっても・・・まぁ簡単に言えば、ハロー効果なんてあまりあてにもならないよ?!っていうだけですが( ̄▽ ̄;)(笑) 

 まずハロー効果自体一体なんぞや?ってことで自分も厳密には分かってないのでググってみました。以下のようなサイトがありました。

mba.globis.ac.jp

 ものすごく簡単に言えば「その人の地位や肩書や名声やあるいは専門スキルや特技などがその人の評価を勝手に高めてくれる」ということで、その効果のことを表すのかと思います。前の記事にも書きましたように、ひと昔前までは〇〇大学の教授とか〇〇の専門家、とか何らかの肩書がないと本も出せなかったしマスコミにも出られなかったので世間に対して影響力を行使できなかったのですが、今はネット社会なので、専門家並みにあるいはそれ以上に見識のある人がこれからはたくさん出てくる可能性があるということです。YoutubeSNSなどを利用すれば誰もが平等に意見を発信する権限が与えられているからです。つまり、ひと昔前の時代はこのハロー効果というものを行使しないと世間に影響を与えることは非常に難しかったのかと思います。だから、学者崩れとか教授になれなかったような人材は、一度挫折すると何も発言権がなくなり落ちぶれてしまいましたが、今の時代はそういう人でも必死に勉強してネットで意見を発信すればいずれ誰かに評価されて挽回できるチャンスがあるということです。今はそういった意味では誰にでも平等にチャンスが与えられている時代になりつつあると言えます。

 神様のカルテというある医者が主人公の映画がありますが、この映画の中でこういうセリフがありました。その物語の中で哲学の学者志望だった人が登場するのですが、彼は、挫折してその道を諦めて実家の農業を継ぐために田舎に帰ろうとするんですね。彼は夢破れて自分の不甲斐なさに打ちひしがれて、心身ともに疲れ果てて人生に絶望しているわけですね。しかし、主人公はそんな彼に向ってこう言うんですね。「田舎に帰って農業を継ぐからって一体何なんだ?農業やりながらだって論文くらい書けるじゃないか。どんなに立派な肩書のある教授の書いた論文よりも僕はあなたの論文が読みたい。」と・・・まさに胸にぎゅーんとくるほど核心ついたセリフで感動した記憶があります。

 10年くらい前の映画だと思うので、この映画が流行ったときは今ほどSNSが発達してなくてFACEBOOKツイッターもできたばかりだったと思いますが、この小説を書いた作家さんはまさに核心ついてるというか先見性のある人なんだなと感じました。さすが、作家の方は洞察力が鋭いですね。だからこそ文学賞を取れるのかと思いますが・・・( ̄▽ ̄;)誰もがうすうす疑問に感じてることであっても、中々気づかないことに気づくからこそ感動的なセリフが生まれる。まさに地位や肩書なんかなくたって努力次第で夢は叶えられる可能性はあるってことかと思いました。ハロー効果なんて世間の評価に負けてはいけない、ということかと思います。

 ちょっと本題からずれてしまいましたが、こういうハロー効果というものに負けないくらいの何かを生み出せば今の時代はネットを駆使して誰かに評価される可能性があるということかと思います。自分もネットで検索していろんな人のブログや記事を見ましたが、無名の人でもその道をかなり極めている人というのはものすごい深い見識を持ってるし驚かされることばかりです。「こういう考え方もあるのか~」といつも感動してます。下手したら専門家以上の素晴らしい見識を持っている方もたくさんいるのだと思いますね・・・

 そういった埋もれた人材がどんどん世に出ていって世の中に対していい影響を与えていけば、僕らの住む社会はもっとよりよくなると僕は個人的には思うんですね。おっぱっぴー理論上では、否定的非常識に本来なら分類されてしまう人でも、ネットを駆使して発信し続ければやがて世間に評価されて肯定的非常識として飛躍できる可能性も十分にあるわけです。だから常識と非常識の循環プロセスをいい方向に回せる可能性があるということです。そういった意味ではネット社会というのは私たちに明るい兆しを照らしているような気がします。逆に、成功者と言われている人でも過度なハロー効果に頼ってばかりの人はもはやその才能以上に評価されてるだけなので、半分は運がよかっただけだと言えるといえます。そういう人ももちろん努力はしてると思いますが、本物ではないということですね。そして、そういうハロー効果のみに依存してるだけで中身や実態のない人たちというのは、そういった意味ではハロー効果は虚構なんだということを教えてくれるわけですね。つまりハロー効果虚構現象というやつです。偉い先生や教授さんがテレビで発信している言葉だからって正しいとは限らないわけです。だから、僕らは何が正しくて何が間違っているのか自分たちで判断しないといけないのではないか?と思うんですよね。「〇〇先生がそう言ってるから」とか「テレビでそう言ってたから」とかそういう時代はもう終わりを告げたのだと思います。何が本物なのか?というのは僕らが自分で見極めなければいけない。ハロー効果虚構現象に惑わされてはいけない。

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我々を蝕んでいる社会の闇の一つはハロー効果が虚構であることかもしれない・・・



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