非常識超越平和思想のすべて   ~遥かなるおっぱっぴーの世界へといざなう~

はじめまして。おっぱっぴー芸術思想家KeithUと申します。自分なりに考えた平和思想を綴りたいと思います。5年~10年くらいいろいろ宗教や思想や哲学、政治などを学んだ結果、それをベースに自分で世の中がどうすればよくなるのか?平和になるのか?という観点でオリジナルの思想を考えてみました。おっぱっぴー平和思想=非常識超越平和思想といいます。思想などに興味があって共感していただけた方はどうぞ宜しくお願い申し上げます。

非常識消費係数=おっぱっぴー係数

非常識消費係数とは?

 おはようございます、おっぱっぴー芸術思想家KeithUです・・・といいますか・・・ご無沙汰しておりますm(__)mしばらく忙しかったので更新が一か月近く滞っておりました。。関係ないけど今日は七夕なんですね!よく知らないけどハッピーな日?だと思うので、今回の記事のテーマはハッピーな内容で合ってると思います(≧▽≦)

 今回のテーマは非常識消費係数(または非常識係数)=おっぱっぴー係数というものです。これは・・・なんと!・・・あの有名なエンゲル係数からアイディアをパクったものです( ̄▽ ̄;)(;^_^A

 エンゲル係数については専門的な知識はないのですが、アイディアだけは踏襲させていただきました。まず、エンゲル係数について軽くおさらいすると以下のようなサイトがありました。

https://www.shiruporuto.jp/public/data/vocabulary/yogo/a/engels_keisu.html

 簡単に言えば家計支出のうち食費の占める割合ってことですね・・・(;^_^A 僕はこれを少しだけアレンジして変えて非常識消費係数という概念を考えてみました。これはずばり簡単に言えば、家計の支出のうちに非常識でサプライズ的なことに使われる費用・コストのことです。例えば、家族のためにサプライズなパーティーを開いたりとか結婚記念日にいきなり何かすごいイベントを企画して実行する、などそういったことです。

 なぜこんなことを考えたのか?と言うと・・・大した理由ではないですが、これの支出が高ければ高いほど家庭の幸福度が上がると思ったのですね。サプライズ企画によって感動が生まれ、その感動を家族みんなあるいは夫婦間で共有することでお互いの幸福度が増すということです。これの係数が高ければ高いほどハッピーな家庭になれる可能性が高いということです。個々の家庭というのは社会を構成する最小単位であり、その家庭が幸せになれば、自然とそれによって構成される社会も幸せになっていく、と考えられるからです。こういったことで世の中がハッピーになりみんな幸福になれればいいな?と思いました。

 今回もご一読ありがとうございましたm(__)m

 

 

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サプライズデイとサプライズ有給休暇

サプライズデイ?!

 こんばんは・・・おっぱっぴー芸術思想家KeithUでっす・・・夜中だというのにまだ寝れないからちょっとだけ記事を書きたいと思いますm(__)m

 今回のテーマはサプライズデイサプライズ有給休暇という私が考えた架空の休日についてです。またもやあやしげだな?と思いましたか?!まあ、そんなにあやしくはないです。簡単に言えばサプライズなことをするという意味です。まあそのまんまなんですが・・・まず、サプライズデイは「その一日だけどんなサプライズをしてもいい日」というものです。エイプリルフールってありますよね?その日だけはどんな嘘でもついていいっていうあれです。そこからヒントを得たというか、サプライズデイとは嘘をつく代わりに、その日だけは他人が腰を抜かしてしまうほど驚くことでも何でもやっていいという日です。例えば、会社の仕事中にいきなり上司が若手社員に向けて学生時代など昔やってたバンドを再結成してオヤジバンド演奏会などの余興をはじめるといったサプライズでもいいですし、街中でいきなりストリートミュージシャンみたいな感じでストリートオタゲーを総勢1000人でやらかす、とかでもいいと思います。何でもありの日ということです。でも、これはあくまでサプライズなので誰にも教えてはいけなくて秘密裏に計画し行動に移さなければいけません。そうじゃないとつまらなくなってしまいますから・・・(;^_^A( ̄▽ ̄;)ちなみにサプライズデイは別名おっぱっぴーデイともいいます。

 

サプライズ有給休暇?!

 次にサプライズ有給休暇ですが、これは社内であっと驚くサプライズな企画を実行し見事成功させた人に与えられる特別有休休暇のことです。例えば、社員食堂でいきなり好きな上司に向けて誕生日パーティーをサプライズで行うみたいなそんな感じです。好きな異性の社員に向けて告白パーティーとかでもいいかもしれません。そういった面白い企画を実行しまわりを驚かせ楽しませ感動させたものは、もれなくこのサプライズ有給休暇がつきます(笑)(;^_^A このサプライズ有給休暇は別名おっぱっぴーホリデーともいいます。

 

まあ、なぜこんなことを考えたかというと、これはおっぱっぴーな出来事を通して世の中をより面白くして感動的にするという意味合いを含んでいます。仕事は何事も面白くなくてはいけないしそのためにはこういう斬新なサプライズ企画をみんながやることで社内の雰囲気が明るくなり仕事も楽しくなるのでは?と思いました。また、日常も普通の国民の祝日だけでは面白くないのでサプライズデイみたいな特別な日があってもいいのでは?!と思いました。

 今回もご一読ありがとうございましたm(__)m

 

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一億人総国会議員化計画~国会議員制度と国会議員インターンシップ~

一億人総国会議員化計画

 おはようございます。おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。

 今回のテーマはずばり・・・一億人総国会議員化計画です。また訳わからん造語が出てきたよ~と思ったかもしれませんが、これは簡単に言えば「みんな国会議員に一度はなれるような仕組みを作る計画」のことです。その計画の中には、国会議員制度と国会議員インターンシップとあります。世の中、裁判員制度とかはできて、一般人でも裁判に参加できる仕組みができましたが、それを国会議員でもやりましょうというお話です。なんだかんだテレビのニュースや新聞を見るだけだと政治って分かりづらいし、国会議員の先生方が勝手に政治を進めてるだけだと、我々一般人にはなにがなんだか分からないまま政治や法律や社会の仕組みが変えられてしまっているということが多々あります。だから、我々国民が政治にもっと参加しやすい仕組みを作ればもっと我々一般人も政治のことが分かりやすくなるんじゃないか?と思ったんですね(;^_^A

「一億人誰もが気軽に政治に参加できる」

これがこの計画のモットーでありコンセプトです。

国会議員制度

 まず、国会議員制度はこれは裁判員制度の国会議員バージョンです。一日なり数日なり、あるいは1週間なり、会社から特別有給休暇などをもらってその期間だけ国会議員を経験できるという制度です。そうすればみんなが交代で国会議員を人生で一度は経験できるということです。現行の仕組みでは選挙に出馬して当選しないと議員さんにはなれないルールになってます。しかし、選挙というのはご周知のとおりものすごい莫大なお金がかかります。これではお金や地盤のある資産家でないと中々出馬するのは難しいです。あるいは教授や医者や弁護士など立派な肩書きのある人、あるいはタレントや芸能人などは当選されやすいが、見識があっても無名の人や知名度の低い人は当選しにくいことになります。しかし、国会議員制度を作れば誰もが議員を経験できるということになります。一般人にとっては国会が何をやってるのかを経験することで、政治の仕組みがより深く分かるようになるし、国会内でも外部からの意見をより多く聞くことで一般社会が何を求めているのか?がもっと分かるようになるのでお互いにとっていいことだらけということになります。

国会議員インターンシップ

 これも国会議員制度に似てますが、これは国民が交代で参加するのではなく、学生や社会人など国会のインターンシップに参加できる仕組みです。一般企業などはインターンシップの制度が盛んに行われていますが、政治だけはなぜかこの仕組みがないように思えます。非常に閉鎖的でオープンになってない。学生なども国会議員のインターンシップを高校や大学時代などに一度でも経験できれば、政治がどういうものか分かるしそれでいいな!と思ったらそのまま政治家を目指すこともできるというわけです。もちろん社会人でも参加したい人はたくさんいるだろうし、そのような開かれた仕組みにすればよりいいと思います。

 このような仕組みをつくれば世の中はもっと開かれた政治が行えると思います。政治家任せではなく他人事ではなくもっと開かれたオープンな社会になるはずです。これこそが本来の国民主権なのではないか?と思います。

 今回もご一読ありがとうございましたm(__)m

 

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進化論HSP淘汰説

進化論HSP淘汰説とは?

 こんばんは、おっぱっぴー芸術思想家KeitUです。地球温暖化のせいでまだ梅雨の時期なのにすでに夏みたいに暑いですよね・・・ネガティブ君の僕としては、ますます地球の未来が不安になります(;^_^A( ̄▽ ̄;)

 さて、今回のテーマですが・・・ずばり進化論HSP淘汰説というものです。これもまさしく私がかんがえたおっぱっぴーで意味不明な造語です(笑)(;^_^Aといっても、意味はそのまんまなんですけど・・・つまりHSP(Highly Sensitive Person)のひとは極端に繊細で感受性レベルが高すぎる人たちのことなのですが、そういった人たちはこの弱肉強食の大競争社会では生きづらく淘汰されやすいのでは?という仮説です。

 HSPについて検索すると以下のようなサイトを見かけました。まさに以下のサイトのような説明の通りだと思います。

www.shinjuku-stress.com

 繊細過ぎるがゆえに混沌とした社会の中では生きづらいし、実際にうつ病になりやすいそうです。私もネットの診断では重度かは分かりませんが、一応HSPに該当しました。普段から人に言われたこととかやたら気にしてちょっとしたことで落ち込んでしまいます。そして精神科にも通ってますし、時々自殺願望が起きます・・・まあ、これ以上こういう話をすると暗くなってしまうし本題から外れてしまうのでここらでやめたいと思いますが・・・(;^_^A( ̄▽ ̄;)

 今回のテーマの一部である進化論についてですが、以下のようなサイトに説明がありました。

kotobank.jp

 つまりこの世界は社会の環境の変化に適応して進化したものが生き残るということかと思います。そして、それは事実だと思います。実際に、企業は社会の変化に適応していかないと淘汰されて生き残れないです。常に市場のニーズをくみ取りマーケティングを繰り返して新しい商品を生み出して売り出していかなければ売り上げにつながらない。売り上げに繋がらなければライバル企業に負けてその業界から淘汰されるのみ。私たちの生きているこの現実社会はとても厳しいものです。

 そして、そんな競争社会の中で生き残っていくのは至難です。グローバル社会になって国際間競争が昔よりもさらに激化している今ではそれはさらに過熱化しているといっていいと思います。それは私たちみんながそうだと思います。みんな生きるのが大変で日々努力しなければ世間から取り残されていく不安を抱えながら生きています。ストレスは半端ないです。でも、そんな中でもHSPは人一倍繊細でストレスを抱えやすい人たちだそうです。こんな競争社会では普通の人たちですら生きづらいのに、HSPにとってはさらに生きづらい世の中であることは確かだと思います。

 そして進化論では社会環境に適応して、そしてその変化に適応して生きてくものがこの世界のサバイバルゲームの中で勝ち残っていくことになっています。そんなサバイバルの厳しい世界では、HSPは真っ先に淘汰されやすい性質を持ってると思います。繊細であるがゆえに人一倍周囲に気を使ってしまい、他人に遠慮してしまう性格ではこの変化の激しい競争社会の中では生きてくのは辛いと思います。

 「憎まれっ子世にはばかる」ということわざがあるくらいですから、実際にこの世界は図太いものほどのし上がって勝ち残る性質を備えているのかもしれません。世界中の首相やリーダーなどの言動を見ても大胆で他国を挑発するような発言を繰り返したり、他国を欺く駆け引きに長けた人ばかりが目につきますよね?HSPの繊細な人ではとてもそんな仕事は務まるとは思えません。

 フランス人だったかイタリア人だったか忘れましたが、ある科学ジャーナリストが書いた本では「賢いやつはさっさと滅びる」みたいな過激な内容が書かれていました。それはさすがに大げさだと思いますが、冗談抜きに半分くらいは当たってるのでは?とそんな感想を抱きました。賢いというのは大げさだと思いますが、確かに他人に何を言われようが何をされようがものともしない図太さがあり、まったく気にしない態度でいられるものほど生き残っているのも事実だと思えます。会社でもちょっとパワハラされたくらいでうつ病になるような弱い人はこの社会ではすぐに淘汰されてしまいます。ツイッターで知り合った方も「古来より人類は原始時代から強いものや狩りができるものが生き残ってきた歴史がある。だから弱いものは淘汰されるようにできている。」と言っていました。人類は多分そういう性質を持って生まれた生き物なのだと思えます。

 しかし、先ほどのHSPついてのサイトを見れば分かりますが、HSPには類まれなる才能があり長所もたくさんあるということが分かります。一見この世界は強いものが正しいという弱肉強食が正しいように思えますが、弱者には弱者の長所があるということですね。個人的には「他人に共感できる」「深く物事を考えられる」ということかと思います。これはまさにまぎれもなく長所です。他人に共感できる人が増えれば世の中は思いやりに満ちた優しい社会になるし、深く物事を考える人が増えればそれだけ図太い人が気づかないで素通りしてしまうような社会の問題点に気づく人が増える、ということかと思います。これは世の中にとってはいいことだらけです。

 でも、実際にはネット情報ではHSPは5人に1人しかいないという事実があるらしいです。だからこそ淘汰される。悲しいことに少数派というのは理解されずらく淘汰されやすい性質があると思います。HPSに限らず、人種問題では黒人が、性別ではマイノリティーが長い間、歴史上でたくさんの差別を受けてきました。少数派というのはとにかく差別されやすいのです。これは多数派に属する人たちの方が圧倒的に社会的に力を持っているのと多数派に属するものの方が「自分たちは正しい」と思い込みやすいという人間の性質から来るものかと思います。

 だからこそ、この少数派であるHSPが淘汰されやすいという現状を何とか打破しなければいけないのだと思います。せっかくたくさんの長所を持っているHSPがまっさきにこの社会から淘汰されてしまっては、世の中がどんどんおかしくなっていくからです。なので私はこの進化論HSP淘汰説をどこかで止めないといけないのだと思っております。

 

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バンジークライム理論

バンジークライム理論とは?!

 こんにちは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。

 今回のテーマはずばり・・・バンジークライム理論でっす(笑)(;^_^A( ̄▽ ̄;)何のこっちゃ?と思われるかもしれません。ふざけてんのか?と思われるかもしれません。そうです、本当にふざけてるのです。今回の理論は本当に遊び心で考えただけの代物です。おっぱっぴー理論とは何ら関係ありません。

 そもそもバンジークライムって何ぞや?ってことですけど、これは完全なる造語です(笑)バンジージャンプってありますよね?体にロープを巻き付けて橋の上など高いところから谷底へ一直線に落ちていくあのスリリングなアウトドアの遊びです。一度もやったことないですけど、本当に見てるだけで怖いですよね。。

 バンジークライムというのはその反対です。空へ向かって舞い上がるかのように一直線に無重力で飛んで羽ばたいていくというイメージです。だからバンジーしながらクライムする、というイメージです。完全なるお遊びで生み出した造語です。そして、ここでいう空というのは天国のイメージに近いです。天国へと飛翔していくようなイメージってことです。なぜ天国へ飛んでいくのか?ということですが・・・それは、私たちの住む世界があまりにも息苦しく辛いことばかりなので、「この世界はいいことだってたくさんあるんだ。感動的なことだってたくさんあるんだ。この世界は天国だ」っていっそ思い込んで自分に念じて生きていけば楽しく明るく生きられるのでは?!と思ったわけですね。そうすれば例え辛いことがあったとしても何とか切り抜けられる。

 浄土宗や浄土真宗は「この世界は辛いことばかりだけど、この世の試練に必死に耐えに耐えて生き抜いていけば死後は必ず天国に行かれる」という発想かと思います。しかし、これだと生きてる間は地獄だって発想から抜け出せないですよね?まあ、浄土宗系の教えについてはそこまで理解してないので適当なことを記事に書くと炎上してしまうのでこのあたりでやめたいと思いますが・・・(笑)(;^_^A

 でも、生きてる間この世界は楽園で天国なんだ!って思えるような発想があれば人生楽しくなりませんか?確かにこの世界は生きてても辛いことばかりですけど、ほんの少し視点を変えればこの世はハッピーなことや感動的なこともたくさんあります。ちゃんと仕事をすれば自由に使えるお金も手に入るし、頑張れば努力は報われるし、ちょっとした合間に趣味に没頭する時間や恋人をつくる時間やその他に使うお金の余裕だってあるかもしれない。そういったこと一つ一つに感謝して生きていかれればこの世は決して地獄ではない。楽しいこともたくさんあるんだって思えたら、この世は楽園だと思えるはず。自分もものすごいネガティブで人生が辛くて仕方なくて、何でもこの世界の現象を否定的にとらえてしまう傾向があります。だから宗教とか自己啓発本とか一時期必死に学んだ時期もありますが、どうやっても前向きになれませんでした。どうすれば人生幸せになれるんだ?どうすれば穏やかに生きられるんだ?!と・・・そうやって必死に苦悩して悩んできました。だからこそ、この世界は天国なんだ!って思える発想を持てればいいのか!?という結論に至ったというのもあります。

 もちろんこれは僕の考えの一部であって、いつもこういう発想をしているわけではありません。相変わらず自分はネガティブでいつも悩んでいます。でも、ほんの一瞬でもふとしたときにこの考えを思い出すと少しは気が楽になれるのかな?と思えるようになりました。ですので、この理論は本当にふざけた理論で・・・というか理論とすらいえない代物ですけど、皆様もふとしたとき悩んでるときに「この世=パラダイス」っていう幻想を抱いてみてください。そうすれば少しは生きるのが楽になるかも?!と思います。

 このおっぱっぴー平和思想(または理論)上では、この世界は矛盾だらけでおかしいので是正して平和にしなければいけない、という前提にたった考え方を発信してますが、決してそんなことはなくこの世界はすでに楽園なんだ!という発想も時には必要なのかな?!と思ったりもします。みながそう思えればこの世界は自然と平和になるのかもしれません。

 今回も、ご一読ありがとうございましたm(__)m

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週末任意団体プロジェクト?!

週末任意団体プロジェクトとは?

 こんにちは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。コロナ騒動の影響で仕事がお休みだったり自宅待機の人も多いのでしょうか?私は5月はシフト制で休みが多かったので記事をたくさん投稿してしまいましたが、もしお時間あるなら皆様に是非読んでいただければという想いで記事を書いてましたm(__)m

 さて、今回のテーマはずばり週末任意団体プロジェクトといったものです。これは簡単に言えば、「みんなが何らかの任意団体を立ち上げて週末に息抜きにボンランティア活動すれば世の中よくなるのでは?」という発想に基づいたプロジェクトのことです。昨今の世の中見ると経済も政治も不安ですよね?ただでさえ日本はずっとデフレで不景気だったうえに、さらにこの先は年金も将来もらえるか分からないし、消費税もこのままどんどん上がってたら私たち庶民の生活も苦しくなりますよね?おまけに中国がどんどん台頭してきてこのままだと日本経済はつぶされるのでは?という懐疑論すら出てきてます。そんな中で、日本政府はいまだにこの現状を打破できる新たな方針を示すことができないでいる。こうなるともはや政治家や行政だけにこの国の将来を任せていいのだろうか?という疑問を僕は感じたんですよね・・・(;^_^A💧

 まぁ簡単に言えばそれがこのプロジェクトを思いついたきっかけです。簡単に言えば政治家や行政に任せっきりではなく、国民一人一人が問題意識をもって社会問題に取り組めば世の中は自然とよくなってくのでは?と思ったのです。おっぱっぴー平和理論とは直接は関係はないですが、世の中をよくするアイディアとしてはこのプロジェクトは肯定的非常識に分類されるものだと思います。

「一人一人ができることは大したことはなくても、みんながやれば大きな力になる!」

というのがこのプロジェクトのコンセプトでもあります。そもそも国会議員ってたかだか500人だか1000人にも満たない人数しかいないわけですよね?地方政府とか官僚や公務員とかも合わせればものすごい人数になりますが、いわゆる私たちの日々の暮らしに直結する政治をまとめてるのは国会議員だと認識しています。彼らはものすごい優秀な方たちで日々日夜どうすれば日本がよくなるのか?ということについて研究したり、法案を作ったり政策をしたり奮闘されてることかと思います。しかし、いくら優秀な先生方とはいえ、これだけの人数しかいない少数の方たちに日本という一大国家の将来はもはや担えきれないと思うのです。大きな負担である国の政治というものに対して、少人数の先生方だけではもはや肩の荷が重いと思うのです。だからこそ、日本の政治は一向によくならないのだとも思ってます。だからこそ・・・政治家に任せきりというか丸投げするのではなく、僕たち一人ひとりが問題意識をもって行動すれば政治家先生何百人の力など遥かにしのぐパワーが生まれるのでは?と思ったのです。

 普通に考えて日本の人口は約1億2000万人くらいいるわけですよね?子供や高齢者は動けないとしても労働人口だけで8000万人前後いると聞いたことがあります。それだけの人数が集まればものすごいパワーを生み出せるに違いないのです。

話が変わりますが、末社という言葉はすでに世の中に出回ってるっぽいです。

www.amazon.co.jp

 この本は読んだことはないですが、起業したい方に向けて書かれた本だと思います。つまりいきなり起業したのではリスクがあるので、まずは週末から副業を始めて徐々に軌道に乗ったら脱サラしてやがて晴れて起業家となることができる、ということかと思います。私はこの週末社長という言葉はつい最近まで知りませんでしたので、いつの間にかちょっとだけ言葉をぱくってしまった形にはなりますが(笑)でも、基本的には週末にそういったことを行うという発想は似てると思います。つまり私たちは平日は仕事や生活に追われる日々で余裕がないので、普段からそんなボランティア活動みたいなことをやるのは不可能ということです。そんなリスクは負いきれないということです。だからこそ週末に息抜きでやればいいのでは?という発想です。息抜きでボランティア活動をして、そして尚且つ世の中の役に立つことができる、という意味で一石二鳥だと思います。

 

なぜNPOではなく任意団体なのか?

 そもそもなぜ任意団体なのか?と思われたかもしれません。それにはまず、以下の任意団体とNPOの違いについて読んでください。すでに知ってる方は読まなくてもいいかと思います。

shimin.hitomachi-kyoto.genki365.net

 つまり、NPOは法人化することで社会的信用を得やすいけど、申請手続きが面倒だったり財務状況を開示したり給料を支払ったり、報告書を行政に提出するなど非常に手間がかかるわけですね。大規模な活動をしたいのならその方がいいかもしれませんが、一個人が週末に気軽に始めるボランティア活動程度でわざわざNPO法人にする必要はないのでは?と思ったからです。

 

なぜわざわざ任意団体を立ち上げるのか?

 ここまで読んだ方で「なぜ自分たちがいちいち任意団体を立ち上げなければいけないのか?」と思われたかもしれません。そんな面倒なことしないで、どこかのボランティア活動に参加するだけでいいのでは?と思いますよね?でも、自分で自ら任意団体を立ち上げることによって以下のようなメリットがあります。

<任意団体を立ち上げることによって得られるメリット>

1.外部のボランティア団体だと自分のやりたいこととニーズが必ずしも一致するとは限らないが、自分で立ち上げれば取り組みたい社会問題に対して好きなようにアプローチをとることができる。

2.自分で自ら行動してやることによって社会問題への意識がさらに向上する。

3.誰かにやらされてやるのではなく、自ら行動することによって責任感が増す。

4.自分だけのやりたいことに取り組める=起業家や社長気分を味わえる。

5.誰かに感謝されることで喜びや感動がます。

6.自分で立ち上げれば半分趣味みたいにして行うことができるし、実際にそこまで負荷もかからないし、空いた時間に自分のできる範囲で行うことができる。

7.人生にメリハリが起きて生きる喜びにつながる。

8.やりがいだけでなく、実際に自分の力で世の中をよくすることができる。

 他にももっと挙げられるかと思いますが、ざっと考えてみただけでもいいこと尽くしですよね?こんな金にもならないことやって何の意味があるのか?と思うかもしれませんが、普段は仕事に追われる日々で週末は趣味もなく特にやることもなくて、人生にうんざりしている人も、こういったことをやれば人生にメリハリがついて生きてるのが楽しくなるのでは?と思います。それでいて世の中をよくることもできるわけです。そして何よりも週末にやることでデメリットは一切生じないということです。週末に自分のやりたいことだけをやり、金を稼ぐ必要もないのでリスクも一切ない、ということです。そう考えるとメリットしかなく、デメリットは一切ない、ということです。あえていうなら自分の貴重な時間が取られてしまうし金にもならない、といったことでしょうか?他にやりたいことがたくさんあって自分の時間が貴重だし、金にならないことは一切興味がない、という方もいると思います。そういう人は無理にやる必要はありません。ただ、週末やることも特になくて日々惰性だけで生きてるとか、人生が退屈で仕方ないとかそういう方で、お金にもそれほど困ってないのなら、こういったことにチャレンジすることで人生が潤うのでは?と思った次第です。

 なので、これはあくまで自分の提案するアイディアであって強制するものでもなんでもないです。ただ、やりたい人だけ賛同してくれたら嬉しい限りです。

 今回もご一読ありがとうございます。

 

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矛盾指数=おっぱっぴー指数

矛盾指数とは?

 こんにちは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUです。しばらく記事をアップしてなかったけど久しぶりにまた書きたいと思います。

 今回のテーマはずばり矛盾指数=おっぱっぴー指数という概念です。最初の断っておきますが、すでにこういう概念は存在していて研究者の間で行われていて仕組みがあるのかもしれません。自分は研究者じゃないので知らないだけで・・・( ̄▽ ̄;)でも、もし存在しないのだとしたら、必要な気がしたので考えてみただけです。

 そもそも、この矛盾指数とは何のこっちゃ?と思われるかもしれませんが、これは簡単に言えばこの世の常識と非常識を分類するための指標となる統計データのことです。最初の方の記事でも記載したと思いますが、今までの記事では、常識と非常識という概念を非常にアバウトに扱って書いてきました。そもそも何が常識で何が非常識というのは人それぞれ価値観が違いますよね?だからそれをちゃんと分けて考えないと「常識と非常識の循環プロセス」だけではこの世の仕組みは説明できない、と思うんですよね💧( ̄▽ ̄;)何が常識で何が非常識かが分からなければその循環プロセスの仕組みそのものがそもそも成り立たないですから・・・

 だからその何が常識で何が非常識か?というのを統計データを取って分類するということですね。例えば、ある心理学の何かの分野の何らかのテーマがあったとするじゃないですか?それについてはすでに研究などで実証済みで結果が出てるからこそ、学会で論文が発表されて世間に認知されてるわけですよね?だからこそそういった文献が本屋で売られてるし図書館でも借りられる。だけど、それが果たしてその後時がたっても、本当に世間の人に正しいものとして認知されているのかどうか?ということがあまり認識されてない気がするんですよね。この時代ではこの学術理論は常識だったけど、今ではもはや時代遅れで常識とは言えないとか・・・( ̄▽ ̄;)あるいは、そもそも最初からあまり世間に認知されないまま研究者の間だけで実証研究されて理論として世に出回ってしまったというものもかなりあるのかもしれません。私は研究者じゃないので詳しくは分かりませんが・・・

 そういった事例があるのならば、もはやそれは常識の理論とは言えないのだと思います。世間的にはいまだに権威を振るっている学術理論なのかもしれませんが、もはや世間からはあまり共感されてない分野であり、冷たいまなざしで見られているというものもかなりあると思います。そうなると世間的には一応常識として扱われてるけど、すでに非常識になりつつある=狭義のおっぱっぴー化しているともとれるわけです。

 こういったものはしかし、いったん権威を振るってしまうと中々間違った理論だとは世間的に見直すきっかけというのができにくいのだと思います。すでに権威を持ってしまってるがゆえに世間一般の人は中々「これは権威ある伝統的な理論だけど実は間違ってるのではないか?」と疑問に感じたり抗議したりすることができないということです。そうすると、これはその後も長年ずっと狭義のおっぱっぴーとして残ったままになってしまう可能性が高いということですね。これは避けなければいけないことだと思います。

 そこで考えたのが矛盾指数=おっぱっぴー指数という概念です。できるだけ幅広く世間的に統計データを取って「この理論は正しいと思うか間違ってると思うか」あるいは「矛盾してると思うか矛盾してないと思うか」ということをはっきり明確にすればいいわけですね。それで例えば、9:1とかで矛盾していると感じる人の割合の方が多ければ矛盾有利となり、逆に1:9とかで矛盾していると感じない人の割合の方が多ければ矛盾不利となります。この場合、9:1とかで矛盾有利となっている状況だったならば、もはや明らかに間違った常識と感じる人たちの方が圧倒的に多数派なわけで、これはこの理論に関しては何らかの是正措置を取るべきなのだと思います。新たに学会などで研究テーマとして意見を闘わせて是正するべきか、あるいはもう古い理論だと認識させるべきか、話し合うべきことなのだと思います。逆に1:9とかで矛盾不利だという場合は世間はまだまだこの理論は正しいと感じる人が多い、ということになるのでそのまま常識として残すべき事柄になるのだと思います。

 ここまで読んで「じゃあ5:5とか半々の場合はどうなの?」と感じる方もいるかもしれません。あるいは6:4とか4:6とかでもいいかもしれません。その場合は、明らかに正しくもないし、間違ってもいないしどちらとも言えないので、完全な時代遅れの非常識とも言えないものだと思います。なので、そこまで目くじらたてて論争する必要はないと思います。しかし、もし何らかなの是正措置を取るならばその6:4や4:6などで出た割合の統計データを元に、意見聴取したサンプルの対象者の方たちから意見をもっと深く掘り下げて聴いてその意見を反映してみたりするなどがいいかもしれません。4:6などで矛盾不利などの場合はそこまで是正しなくていいと思いますが、6:4などで矛盾有利などの場合は矛盾だと感じる人の割合の方が多いわけなので、それはそれなりに矛盾を感じる人の割合に応じて何らかの是正措置を取るべきかもしれません。

 さらに疑問を感じる方は「こんなことはわざわざ統計データ取るまでもなく必要のない理論は自然淘汰されるのでは?」と思われたかもしれません。私は、統計学者でも研究者でもないので研究の世界のこともあまり知らないので何とも申し上げられませんが、さっき述べましたように「権威を持ってしまってる理論というのは中々淘汰されない」と思うのです。経済学でも古典派や新古典派などいろいろありますが、ひと昔前までは環境問題などは一切認識されてなかったので、「完全競争でみんながウィンウィンになってパレート最適になればみんな豊かになり幸せになれる」と考えられてましたが、もはや今の時代では環境問題なくして経済学を考えることはありえないと言われているそうです。だから、もはや昔の経済理論は時代遅れになりつつあるようです。でも、ケインズとかフリードマンとかとにかくものすごい有名な昔の経済学者の人たちが考えた理論は一度権威を持ってしまうと中々淘汰されにくいと思うのです。まあ、完全に淘汰するべきことではないけど少なくとも、今の時代は環境と経済は切っても切り離せない時代なので環境経済学とかそういったものが主流の時代へと移行すべき時代らしいです。そうじゃないと地球環境がこの先温暖化などでどんどん破壊されていって、私たちの未来や生存そのものが脅かされるからです。でも、その新たな時代にシフトすべきときに古い時代の価値観が権威を振るっていると中々新しい時代へと前進できないというのがあると思います。だからこそ、ここで矛盾指数という概念があれば何が正しいのか間違ってるのかがより明確になるような気がします。

 また、それでもさらに疑問を感じる方は「こんなことは学者が議論すればいいことで自然と個々の研究者同士が話し合えば自然と古い理論は淘汰されてくのでは?」と思われるかもしれません。民主主義の名のもとに色々な意見を闘わせて議論すれば自然とそうなるというのもうなずけます。でも果てしてそれで解決するのか?と自分は思いました。そもそも研究者同士が勝手に議論しただけでは民意が反映されてないですよね?例えば今現在行われているAIの研究も様々な議論が飛び交っていてもはや何が正しくて何が間違ってるのか?が我々庶民にはまったく見えてこないですよね?AIの時代になり得する人もでてくると思いますが、逆に仕事を奪われて困る人たちも増えるわけですよね?そういったメリットデメリットがちゃんと議論されてないと後々生活に困るのは我々庶民ですよね?それは最先端研究をしている方たちが勝手にAI論争を引き起こしてるからこういった問題が起きてるわけですよね。もちろんちゃんと民意を反映させて統計データを取ってる研究者の方もいるとは思いますが、個々の研究者が勝手にそれを行っているだけでは仕組みが曖昧だと思うのです。だから、ちゃんとそういったことを統計データを取って是正する仕組みが必要だと思ったので矛盾指数という概念を作りました。

 以上、矛盾指数についての説明でした。自分は統計学者でも研究者でもないので、こんな統計データ本当にとれるのかは分かりません( ̄▽ ̄;)(笑)そもそも、世界中からこんな統計データを取るなんて至難ですし。でも、統計というのはできるだけ幅広い地域や国で、できるだけ幅広い人種、性別、年齢層からのサンプルが多くないと意見が偏るので意味がなくなるそうです。でも、そうするには莫大な時間がかかる。だから、その辺りは統計学者の先生方に考えてもらっていただければと思ってます。自分の知識では、これ以上の意見を申し上げるとボロが出るのでここでやめたいと思います( ̄▽ ̄;)(笑)

 ご一読ありがとうございましたm(__)m

 

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