常識置換or常識凌駕とは?
こんばんは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUですm(__)m
今回のテーマはずばり、常識置換or常識凌駕です。これは何ぞや?ってことですけど・・・まあ読んでそのままです。簡単に言えば、常識がどんどん新しく生まれ変わっていくということです。今まで常識だと思われてたものでも、時代とともにどんどん新たな常識が生まれると、その古い価値観や常識は非常識へと変わっていくので、そしてそれが新たな常識に塗り替えられる、ということです。
なんだそんなこと当たり前じゃん!って思われるかもしれませんけど、でもここには一つ落とし穴があります。それは、すんなりとスムーズに古い常識というのは新たな常識に移行するのは難しいということです。
これはどういうことかといいますと、常識と非常識の循環プロセスなどのモデルで説明できると思います。あるいはそれらの関連記事で今までご説明させていただいたように、世の中には肯定的非常識と否定的非常識が存在し、それらから説明できます。
肯定的非常識というのは世の中にいい影響を与える非常識のことで、例えば画期的な発明品などがこれに該当します。一見、世間では非常識と見られることでも、明らかに世の中にいい影響を及ぼすならばそれはもはや肯定するべき非常識だ、という意味です。逆に否定的非常識というのはこの世界に悪影響を及ぼす悪しき慣習やルールや価値観、はたまた間違った世の中の仕組み自体などを指します。まさに否定すべき非常識だ、ということです。ですが、ここで一つ見落としてならないのは、この否定的非常識の中には当然否定すべき誤った非常識がある一方で、「正しいのにも関わらず間違った非常識として分類されてしまっているもの」も含まれている、ということです。
これはどういうことかというと、以前も説明させていただいたかと思いますが、「正しいのにも関わらず世間に理解されずに受けいれられなくて結果として評価されなかったもの」とも言えます。例えばあまりにも奇抜な発想の発明品や画期的な革新的なアイディアのイノベーションなどがこれに含まれます。そういうものは正しいように思えても、あまりにも発想が奇抜すぎてその時代の世間に理解されないものとか、あるいは理解されたとしてもコストや技術力などの観点で実現不可能と見なされて却下されるものなども含まれるかと思います。あるいは、既得権益者にとってはこの上なく面白くないアイディアが盛り込まれた発想などは、権力によって潰される、という可能性もあると思います。
つまり、どういうことが言いたいかというと、この否定的非常識には本当に世の中に悪影響を及ぼす非常識と、本当は肯定的非常識に分類されるべきなのにも関わらず世間に受け入れられずに否定的非常識に分類されてしまっているものも数多くある、ということです。
これは社会にとっては多いなる損失だとも思えます。本当は世の中をよくすることができる画期的なイノベーションなのにも関わらず、そういった事情で世間に受け入れられずにくすぶったままの状態であるとも言えます。要は正しいのに間違ってると言われているような状態です。
こういったものをいかに正しく世間に受け入れられるようにして、そして結果として正しく評価され肯定的非常識の世界へと分類されイノベーションとして認識されることが必要だということです。これらの流れをうまく循環させることこそがこの世界では重要なのだと思ってます。
そして、その新たに評価され生まれ変わった肯定的非常識が今度は世間に正しく評価され、新たな常識へと進化を遂げることが重要なのです。そして、そのようなプロセスを経て新たな常識が古い常識を塗り替えていくことを常識置換or常識凌駕と言います。