非常識超越平和理論(仮説と検証)4.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証
非常識超越平和理論(仮説と検証)4.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証
仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、どのようにサイクルが回るか、あるいはどのようにして均衡のメカニズムになるのかさらに検討する。
ポイント:前回の検証では非常識均衡が成立するかそのメカニズムを簡単に検証してみたが、さらにそれを詳細にどのようなプロセスやサイクルによって可能になるのか?検討する。
方法:簿記の借方・貸方のように数字や分類項目がどのように循環するかそのサイクルを、実際にシーソーをイメージしながら簡単な数字を元に検証する。
前回の記事をまとめると
- 常識:否定的非常識からスタートすることがあるが基本的には常識の領域にとどまることが多く、時代遅れになると否定的非常識に分類され世の中から必要とされなくなればモデル図から削除される。
- 肯定的非常識:最初はあまり理解されないことが多いため否定的非常識からスタートして、肯定的非常識→常識→狭義のおっぱっぴー→否定的非常識へと変化していく。そして、常識と同様に世の中から必要とされなくなればモデル図から削除される。
- 否定的非常識:否定的非常識の領域のとどまるものが多い。新たな法律や取り締まる方法などの仕組みができ犯罪がなくなったとしても、新たな犯罪がまた生じるイタチごっことなっている→否定的非常識の領域のとどまりながら増減を繰り返す。
以上のような結果になった。
この1~3から推測して分かることは、否定的非常識の領域のネガティブ因子のものだけが増減を繰り返し、後の領域のものは循環プロセスの間をぐるぐる回って最終的には否定的非常識に戻されやがてモデル図から削除される、ということがいえる。
これらについて簿記をイメージしながら簡単な数字で検証してみる。
<数字による検証>
以下はシーソーをイメージしている。下線の下部部分の左の領域を否定的非常識、右の領域を肯定的非常識、下線の上を常識の領域とする(この際、単純化するため狭義のおっぱっぴーについては度外視する)
※まずは定量化できるもの=肯定的非常識の発明やイノベーション、否定的非常識のネガティブ因子などを分析してみる。
1)ある犯罪が新たに生じて今年の発生被害額は100だった。
100 |
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2)この犯罪を防止するための何らかの道具がある博士により発明されたが、世間に理解されずに否定的非常識として評価された。まだ市場で評価されてなく、計測不可能ためあえてゼロとする。
この場合は犯罪に対処できていない世の中のため、否定的非常識の方が分量が多くシーソーが左に傾く。
100 0 |
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3)この発明品が市場で評価されたがまだ大多数の人には受け入れていなく肯定的非常識として認識されている。この際、この発明品はこの犯罪を完全に食い止める効果があると見込まれるためあえて100として仮計算される。この場合、犯罪は100だが、犯罪に対処できる発明品が市場にあり肯定的非常識として分類されているためシーソーはバランスが取れている。
100 |
100 |
4)この発明品が市場で全国的に評価され始めて世の中のスタンダードとして評価されると常識に分類される。この場合、肯定的非常識から常識の領域へとシフトするため、シーソーが左に傾く。
これは肯定的非常識にまた新たなる犯罪が起きたときのための発明品がまだ生み出されてないので循環プロセス的にはうまくまわってなくシーソーが一時的に左に傾くと考えられる。
100
100 |
0 |
5) しかし、それによってこの犯罪がもしなくなったとしたら?(あるいは犯罪件数が減ったとしたら?)ここでは犯罪被害額が30に減ったとする。そうするとこの発明品は被害額70に対処する効果しかないことが判明するため70の価値に減額される。
70
30 |
0 |
6)この犯罪をする輩が新たに増えて犯罪被害額がまたもや倍増し60となる。そうすると、この発明品を増産してすべての犯罪を食い止めることに成功したとする。すると、発明品の犯罪防止効果は70+60=130となる。
130
60 → 0 |
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7)この犯罪はこの発明品によって犯人が凝りて二度と起こさなくなったため被害額は永久に0となる。そうすると、この発明品は存在意義がなくなりもはや時代遅れものものとみなされ否定的非常識に分類される。そして、その時は市場価値が著しく下がり0に限りなく近くなりやがて0となりモデル図から削除されることとなる。
0に限りなく近い→0 |
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8)また、新たな別の種類の犯罪が流行りだして今度は200の被害額が全国で生じたとする。
このように否定的非常識に分類されるネガティブ因子は永遠にイタチごっこのように増減を繰り返す。そして、このようにして、否定的非常識のネガティブ因子が永遠い増減し、同じ領域に市場に評価されてない発明品およびイノベーションが生じて、それが肯定的非常識→常識→狭義のおっぱっぴー→否定的非常識へと変化していきやがてそれがまたゼロとなる。
200 |
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例外
先ほどは発明品が全ての犯罪に対処できた場合の例を示したが、今度は対処しきれなかった場合はどうなるのか?例えば、6)の例で言えば60のうち30しか犯罪に対処できなかったとする。
発明品の市場価値は100とり、否定的非常識のネガティブ因子は30のまま残る。
100
60 → 30 |
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その後、この発明品はこれ以上この犯罪に対処できないとみなされ市場での価値を失う。
30 0 |
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結果として、発明品は世の中から必要とされなくなりモデル図から削除され、犯罪だけが30残る。
しかし、この後にこの犯罪に対処できるさらなるすごい発明品が生まれたとする
この発明品はさらに高性能で既存の犯罪被害額30だけでなく、新たな別の犯罪にまで対処できると市場で見込まれた場合は肯定的非常識に100として分類される。
この状態だと、肯定的非常識の分量が多いのでシーソーが右に傾く。これは、この発明品が常識として受け入れられていない=過小評価されている状態のバランスが悪くなっている状態である。
30 |
100 |
0 0 |
70 |
この場合は、犯罪被害額30分には対処し、この発明品の30分の役目は終わったのでモデル図から削除し、70の分は新たな潜在的に起こると予想される犯罪に対して設けられた分で肯定的非常識として市場に予想額として見込まれている状態。
<ネガティブ因子と対応していない肯定的非常識のポジティブ因子>
※ここでいうポジティブ因子とは肯定的非常識に分類されるもののうち世の中にいい影響を与える要因のもの。これは、ネガティブ要因は否定的非常識に分類されるものに含まれるものに該当するが、ポジティブ要因は肯定的非常識に該当するもののうちほとんどのものが含まれると思われる。
ネガティブ因子と対応していないというのは、先ほどの例のようなネガティブ要因と相殺不可能なものである。以下に例を示す。
1)世の中に感動を与えるハッピーなイベントAが発生したとする。
このイベントは何らかの基準を設けて価値を数値化できる可能性もあるが、否定的非常識のネガティブ要因とは対応してないので相殺不可であるため大きな数を割り当てるとシーソーが右に傾き過ぎて循環プロセスの回り具合が把握しづらくなる→数字1として換算する。
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イベントA:1 |
2)ここで、ある街の駅前でかなり異臭の発生するゴミが不法投棄される事件が頻発したとする。被害額はこの不法時されたゴミの撤去費用やクリーニング、清掃費用などを勘案して結果およそ100として計上されたとする。
不法投棄:100 |
イベントA:1 |
3)この不法投棄を強制的に撤去しないと罰金になる条例が制定されたとする。
この条例ですべてのゴミ不法投棄問題が解決したとする。
条例:100
不法投棄:0 |
イベントA:1 |
この条例はもう必要ないので否定的非常識に分類されるべきだが、またゴミの不法投棄が同じ地区で再発する可能性があるので、そのまま条例は残すこととする。しかし、この条例はいまのところ不法投棄問題が起きてないため価値は0になる。
4)ここで、また別の地域で新たな不法投棄が起きたとして被害額は今度のケースは200とする。
そして、ある日この地域でゴミの不法投棄撲滅キャンペーンが起こり、ハロウィーンやアニメキャラなどのコスチューム(コスプレ)を着てゴミの撤去作業のボランティア活動がムーブメントになったとする。その場合はこのキャンペーンの価値は200の被害額を相殺できると見込まれて200と見積もられる。
条例:0
不法投棄2:200 |
イベントA:1 キャンペーン:200 |
5)このキャンペーンによって不法投棄2はすべて撤去され解決されたとする。この場合、このキャンペーンはもうこの地域で必要なくなるので価値は0になる。
条例:0
不法投棄2:0 キャンペーン:0 |
イベントA:1 |
6)この不法投棄が永久になくなりキャンペーンも必要なくなり価値がゼロになるが
イベントA:1だけがポジティブ要因として肯定的非常識の領域に残る。
条例:0
不法投棄2:0 キャンペーン:0 |
イベントA:1 |
※このイベントAはネガティブ因子とは対応していないので肯定的非常識の項目として1が計上されたままとなる。これは肯定的非常識のポジティブ要因が1増えているとみなせるので、その分世の中が明るくなったと考えられる。しかし、これではシーソーのバランスが取れなくなり均衡のメカニズムの証明ができないことになる。
解決案1:最終的に計上する時にこのイベントはシーソーのどちらかに傾く?
→ この際、否定的非常識に残されたまま1として換算されている。
例)あるイベントの計上分1がこの世から必要なくなり否定的非常識となり1のまま残っている。
このようなものがすべて同じ割合でプロセスの中を平均的な割合で循環していれば相殺すれば肯定的非常識の項目と否定的非常識の項目が打ち消し合って0となると思われる。
<ケーススタディー>
しかし、これらのイベントの項目はすべて平均的に循環しているとは限らない。
イベントAひとつの項目なので1として計上されるが、あるイベント3個分は誰かが思いついた時点で最初から世の中から必要とされてないという場合
→否定的非常識に3として計上されている。
この場合は否定的非常識の分量の方が多いのでシーソーが左に傾く。
イベント3個分:3 |
イベントA:1 |
問題点
- 定量化して数字で市場価値などを計算する時に今年の犯罪被害額分や対処できた分のみを記載すればいいのか、あるいは年度ごとではなく毎年の合計を計算すればいいのか、どちらがいいのか?
- 定量化してしまうと常識の金額が多ければ多いほど「常識でがんじがらめの社会」ということになってしまわないか?実際は犯罪に対処できた金額が多いからこそ数値が上がっているのに反対の意味にとれてしまう?
→ これは定量化できるものと定性化しかできないものとで分けて考える必要がある。
定量化できるものの分については常識の金額が増えても問題ないとする考え方。
残る課題
- 定量化できるものとそうでないものとを分けないといけないのでどうのようにモデル図の中で数量化して計算するべきか?
- 定量化および数値化はあくまで主観的な観点によるものなので、それをいかにして客観的なデータに数量化するか?→統計を取ってあらゆる人から意見をサンプリングする?
- 仮の非常識均衡になる場合のケースについても要検討
- 定量化できるものについてはポジティブ因子とネガティブ因子がそれぞれ対応しているか?
例)さきほどの犯罪とそれに対処可能な発明品の場合は、対応しているので最終的には消去されて相殺可能であるが、そうでない場合はポジティブ因子とネガティブ因子は対応していない=必ずしもお互いに関連し合ってない。その場合は肯定的非常識の方にシーソーのバランスが傾くことになる。これは、考えてみたら分かるが、対応するネガティブ因子がない=ネガティブな要素が世の中にない、ということになる。それにも関わらずポジティブ要因だけ発生している状態なわけだからシーソーが右に傾くこととなる。しかし、シーソーが右に傾いている分には世の中的にはあまり問題なく、むしろ否定的非常識のネガティブ因子が増えることこそが世の中の悪化の原因でもある。そして、そのポジティブ因子も肯定的非常識から常識へと変われば再びシーソーのバランスが保たれることになるので再び問題は解消される。