常識と非常識は循環する
こんばんは。おっぱっぴー芸術思想家KeituUです。
今回は、前回の記事に引き続き常識と非常識に焦点を当てたテーマで書きたいと思います。ですが、今回はそれがいかに循環するか、つまり繰り返されるか、についてを中心に書きたいと思います。まず、以下でおさらいしたいと思います。
1.世間で正しいと認識されている常識の中で実際に正しいもの
2.世間で正しいと認識されている常識ではあるが、実態は非常識のもの=狭義のおっぱっぴー
3.世間に正しいと認識されてない非常識=否定的非常識
4.世間に正しいと認識されている非常識=肯定的非常識
- 1.は正しい常識なのでそのまま保留
- 2.はできるだけ正しい常識に是正
- 3.はできるだけ肯定的非常識へと変換
- 4.はできるだけ増やしていく
これが、前回の記事でお伝えした内容です。これらはもうすでに説明させていただいたので割愛致します。これらは一見、理想のサイクルでこれをうまく循環すれば正しいものだけ残り、間違ったものは淘汰されて理想の社会が実現されると思われます。これらが全部実現すればこの世から悪しき慣習やルールなど非常識が消え去りさも、素晴らしい新たな常識のみが残り理想の社会が実現されるように思えます。しかし、実社会はもっと複雑でそんなに簡単にはいきません。なぜか?それはこのプロセスが単純に繰り返されるのではなく行ったり来たりする仕組みになってるからです。何のこっちゃ?と思われるかもしれませんので、ご説明いたしましょう。
まず、1.ですが、正しい常識は保留といってもそのまま永遠に保留し続けても時代とともに私たちの住む社会の価値観は常に変わっていくので、いつまでのそのままにしていると時代遅れになってしまいますよね?「常識は常に変わる」のです。これはあらゆる起業家やイノベーターの方が好き好んで使うようなフレーズだと思うので、多分合ってると思います。10年先は今の常識は非常識になっているかもしれないのです。これは昔の時代ならそこまで変わらなくても、今の時代は相当変化が激しいので10年もたてば今の常識なんて通用しなくなっている可能性が高い・・・本当に大変な世の中です( ̄▽ ̄;)つまり、留保するだけでなく「時代とともに常にアップデートする」必要があるわけです。
次に、2.についてもですが、2つ目の記事で書いたように常識の中に紛れ込んでいる非常識=狭義のおっぱっぴー、というのは本当に目に見えにくく是正しづらいのです。多数派が信じているために常識だと思い込まれている概念なので・・・そして間違いだと世間が認識したとしてもそれを是正するには数年単位、あるいは下手したら10年20年とかかるものなのです。
そして、3.についてですが、これもニーチェ先生の例でご説明したようにあまりにも難解過ぎたり時代の先を行き過ぎているイノベーションや発明というのは、とにかく時代に理解されないのでいくら努力しても否定的非常識として分類されて評価されないという壁にぶち当たります。これはもはや運、不運の世界であるといっていいでしょう。大してすごいイノベーションでなくても時代を味方につけてうまく世間に評価されれば肯定的非常識として認められ次第に新たな時代を代表する常識へと変わることが可能。逆に、例えすごい潜在能力を秘めたイノベーションでも、運悪く時代に評価されなければ埋もれまままになってしまいます。
最後に4.についてですが、これも肯定的非常識と見なされたものも時代にとって必要な場合は評価されますが、時代が変わればまた評価されなくなるという可能性もあります。新たな発見とかイノベーションというのは、まず時代に受け入れられないと最初は否定的非常識に分類されます。しかし、徐々に世間に評価され始めると次第に肯定的非常識に昇格します。そしてそれが最終的には新しい時代のスタンダードとして評価され始めると新たな常識へと変えられていきます。つまり3→4→1というプロセスを経てようやく新たな常識となれるわけです。そして、何よりも残念なことに、肯定的非常識として新たなイノベーションとして認められて最終的に新たな常識として認識されたとしても、すぐにまた結局新たな次の常識によって淘汰されることがあるということもあります。市場において絶対的に優位にある製品やブランドなどはその優位性はちょっとやそっとでは揺るがないですが、単なる流行などはすぐにこのプロセスによって淘汰されます。例えばですが、大した名曲でもないのにマスコミによる宣伝だけで売れたちょっと流行りの曲や、あるいはちょっと若者に一時的にうけて売れただけの服のブランドなどが特にそうですよね?
つまり時代によって評価されるプロセスは以下のようなサイクルを繰り返すことになります。
否定的非常識→肯定的非常識→新たな常識→狭義のおっぱっぴー→否定的非常識
まず時代の先を行くイノベーションは最初は否定的非常識として分類されまったく評価されないが、次第に「これは斬新なアイディアだ」と認められれば肯定的非常識に分類される。そして、例えば、それがさらに市場で優位に立ってヒット商品などになればそれが新たな時代のスタンダート、つまり常識となれる。しかし、それも時代とともに古くなればまたそれは時代遅れと見なされ、狭義のおっぱっぴーに降格することになる。そして、それがやがて否定的非常識にまた戻されることになる。
以上、まとめたようになるのでこれだと永遠に同じプロセスが繰り返されるだけではないか?と思われるかもしれません。しかし、このプロセスを経ることで逆に時代は徐々に進歩するとも解釈できます。ですが、前述したように、時代の先を行き過ぎた否定的非常識は評価されにくく、肯定的非常識ないし新たな常識と評価されないままで終わってしまうケースも多々あります。そして、狭義のおっぱっぴーも本来なら修正されて常識へと戻す必要があるのですが、是正されないまま放置されているケースもたくさんあります。法律なんかがいい例だと思います。専門家でないのでよく分かりませんが、すでに時代遅れになっている条文なのにそのままになっているケースがあるそうです。そういうのは本来なら修正して常識へと是正するか、あるいは使い物にならないと判断すれば条文から削除して否定的非常識に分類するべきものなのです。
このように時代とともにこれらのプロセスを繰り返すことで時代は常に進歩していく、と考えられます。でも、察しのいい方はお分かりだと思いますが、「じゃあこのプロセスのまま時代が進歩するならこのままでいいじゃん?」と思われるかもしれません。わざわざ肯定的非常識優位などという概念を生み出す必要はないかもしれません。しかし、私はこれだけでは不十分だと考えます。それはその時代にとってはよりベターな選択であるというだけにしか過ぎないからです。このプロセスを経ることで時代は少しづつ進歩はしますが、それはその時代にとってはよりベターで一応社会的には最適に落ち着いているというだけで、それでは本来の意味での最高レベルの解にはなっていないということです。
つまり以下のように言えると思います。
世間一般的には良いと思われている社会≠本来のあるべき理想の社会
別の見方をすると
見せかけの最適な解≠本当の最適な解
どういうことかというと、このプロセスが永遠に繰り返されるといつまでたっても大半の常識の分量が変わらず、その両脇に否定的非常識と肯定的非常識がシーソーのごとくぶら下がっている状態です。つまり前の記事の通りに、均衡が保たれている=非常識均衡の状態である、ということです。それをよしとする人ならそれで問題ありません。楽観主義の人なんかはそう思うかもしれません。その時代の見せかけの最適な解が得られればそれで充分人生も社会も幸せだと思うかもしれません。しかし、よく考えてみてください。その時代その時代の見せかけの最適な解が得られれば世の中が平和になるのが本当ならば、これだけ多くの社会問題が発生するでしょうか?これだけの不幸な人たちが存在するでしょうか?特に日本は年間3万人以上もの自殺者がでる自殺大国です。精神疾患で病んでいる人たちやひきこもりやニートの人たちもたくさんいます。そういう人たちはなぜか救われていない。つまり、非常識均衡では世の中から不幸な人がいなくなっていない、ということかと思います。
イノベーター=肯定的非常識をもたらす人たち
私たちの社会は本当に複雑な要因が絡みあっているのでこのようなプロセスだけでは簡単には説明できないかもしれません。でも、単純化するとこういうこだと自分は解釈しています。そして、前述のようなプロセスを繰り返すだけでは不幸な人たちや虐げられている人たちが永遠にいなくならない。あるいは、個人的な解釈ではそのプロセスを完全に遂行できてないからそうなるのか?とも思えます。プロセスを遂行しきれてないからこそそこに穴が生じて社会に亀裂が生じる、とも考えられます。
つまり以下の2通りの可能性があります。
1.この常識と非常識の循環プロセスの仕組み自体にそもそも欠陥がある。
2.プロセスそのものには全く問題はないが、社会そのものが矛盾しているためいくら頑張ってもプロセスを遂行しきれない。
このような可能性があると僕は考えています。しかし、どっちが正しいのか答えは分かりようがない。1.が真であるならば、もはやこの循環プロセスそのものを見直して新しい仕組みが生まれないことには世の中は平和にはならないということになります。そして、2が真実ならば、もっと一人一人が行動すれば世の中は平和になる、ということになります。あるいは、実際の社会はもっと複雑な要因が絡んでいるので1.と2の両方が原因かもしれません。つまり、プロセスそのものにも欠陥があり、また社会や行動そのものにも問題がある可能性があるということでうす。その場合は、このプロセスを見直して仮に改善できる余地が多少あるなら改善して、後は一人一人が世の中のために行動すればいいだけ、ということになります。
2.の場合は今まで述べてきたことですべて問題が解決することになります。つまり一人一人の意識改革さえできれば世の中が平和になる、ということかと思います。そして、その場合は非常識均衡=最適な解になるのかと思います。あるいは最適な解とは言い切れなくても限りなく平和な世の中に近づける、という意味かと思います。
しかし、一番厄介で問題なのは果たして1.あるいは2.のどちらが正しいのか我々人間には把握しようがないことです。2が正しい場合は、プロセスを繰り返すことでやがて非常識均衡に落ち着き、それが正しい答えになるので社会はこのままでよく、一人一人の意識を変えればいいだけになります。しかし、もし仮に1が正しいとするとなるともはや社会の仕組みそのものを変えていかなければならなくなります。先ほどはプロセスを見直せばいいと述べましたが・・・しかし、残念なことに最大の問題は、社会や世の中の仕組みを劇的に変えるなんて早々できないということです。ですので、社会の仕組みそのものを変えるのではなく、代わりに以下のようにすればいいのではないか?と仮説を立てました。
「肯定的非常識の総量を劇的に増やせばいいのではないか?」
という考え方です。上記のサイクルが仕組みとして不充分ならば、もはや非常識均衡のバランスを覆してとにかく肯定的非常識の総量を増やせばいい、ということです。そのためには世の中に埋もれている人材=イノベーターをとにかく発掘して世に送り出す必要があるということです。世の中には成功者と言われる人以外でも埋もれた潜在能力のある人材は大勢いると思ってます。マスコミにたくさん出てたり、地位や肩書がある人だけがすごいと世間は見なす傾向が強いですが、今はネット社会なので、ネットのブログなどで発信している一個人の人たちでも専門家以上にすごい見識のある人とかは簡単に発見することができます。下手したら専門家以上にすごい見識と洞察力を持ってるかもしれない。ひと昔前までだったら、〇〇大学の教授とかの肩書がなかったら本すら出せなかったし、マスコミにも出れなかったけど、今の時代ならブログやツイッターなどのSNSあるいはYoutubeなどで自由に何でも発信することができる。つまりもはや今の時代は地位とか肩書なんて単なる見せかけだということです。ハロー効果と呼ばれるものは単なる虚構にしか過ぎない時代になってきています。僕はこれを個人的にハロー効果虚構現象と呼んでいます。
そしてそういうイノベーションを起こせる可能性のある潜在能力を秘めた人材がもし埋もれてたらそれを引き上げてあげることで、彼らは世の中に肯定的非常識をさらにもたらすことができるわけです。彼らイノベーターたちは肯定的非常識をもたらす人たちなのです。
そして、これは誰にでもできるということです。何も難しい専門的なことでなくても世の中をよりよくするちょっとしたアイディアをブログなどで発信し、それが誰かの目に止まりそしてネットで拡散されればそれはもう世の中に肯定的非常識をもたらしたことになります。ひょっとしたらフリーライターの目に止まってそれが記事になって世の中に広まる可能性だってあるわけです。つまり世の中を変えられる人たちというのは何もイノベーターだけに限らないということです。いや、むしろ我々みんながイノベーターといえるかもしれません。イノベーター=何か新しい起業や発明をする人、という概念ではなく、みんながイノベーターなのです。イノベーター=肯定的非常識をもたらす人たち、ということです。そして、我々一人一人がちょっとしたアイディアを出して世の中をよくする行動を起こせば世の中は劇的によくなるのです。これはもはや肯定的非常識の奇跡と呼んでもいいかと思います。
以上、長文でしたがご一読ありがとうございました。
English Translation
#6 Circular process of common sense and non-common sense
This time, I would like to continue with the theme of the previous article, focusing on common sense and non-common sense. However, this time I would like to focus on how it cycles, that is, whether it is repeated. First, I would like to review the following.
1. What is actually correct among common sense that is recognized as correct in the world
2.It is common sense that is recognized as correct in the world, but in reality it is non-common sense
3.Non-common sense that is not recognized as correct by the world = Negative no common sense
4.Non-common sense that is recognized as correct by the world = Positive no common sense
1. is correct common sense, so it is retained as it is
2. Correct common sense as much as possible
3. Convert to positive no common sense as much as possible
4. Increase as much as possible
This is what I told you about in the previous article. I have already explained these, so I will omit them. At first glance, it seems that if this ideal cycle is successfully circulated, only the correct ones will remain, and the wrong ones will be eliminated, leading to the realization of an ideal society. If all of these are realized, even if bad customs and rules disappear from this world, only wonderful new common sense will remain, and an ideal society will be realized. However, the real world is more complicated and it is not so easy. why? This is because the process is designed to go back and forth rather than simply repeating itself. You might think “What are you trying to say?” This may seem confusing, so let me explain.
First of all, as for 1., even if correct common sense is withheld forever, the values of the society we live in will always change with the times, so if we leave it as it is, it will become obsolete. It's going to end up like that, right? “Common sense always changes.” I think this is a phrase that every entrepreneur and innovator would love to use. 10 years from now, common sense may be non-common sense. In the old days, things wouldn't have changed that much, but in this day and age, the changes are so drastic that it's highly likely that the current common sense won't work in 10 years...
It's a really tough world ( ̄▽ ̄;).
Next, as for 2., as I wrote in the second article, it's really hard to see and correct the non-common sense that is already recognized as common sense. It's a concept that is believed to be common sense because the majority believes it...and even if the world recognizes it as a mistake, it will take years, or 10 or 20 years if things go wrong, to correct it. That's it.
As for 3., as explained in the example of Professor Nietzsche, innovations and inventions that are too difficult or ahead of the times will not be understood by the times, so no matter how hard you try, you will end up being classified as negative no common sense and not evaluated. It can be said that this is a world of luck and misfortune. Even if it is not a great innovation, it is possible to be recognized as positive no common sense and gradually change to common sense that represents the new era if it is well evaluated by the world. On the other hand, even innovations with great potential will be left untouched if, unfortunately, they are not appreciated by the times.
Finally, regarding 4., things that are considered positive no common sense will be appreciated if they are necessary for the times, but there is a possibility that they will no longer be appreciated if the times change. New discoveries and innovations are initially classified as negative no common sense if they are not accepted by the times. However, when it gradually starts to be evaluated by the world, it is gradually promoted to positive no common sense. And when it finally begins to be evaluated as the standard of the new era, it will be changed to a new common sense. In other words, after going through the process of 3→4→1, we can finally become a new common sense. And most unfortunately, even if it is recognized as a new innovation as a positive no common sense and finally recognized as a new common sense, it may be quickly and eventually weeded out by the next new common sense. That's what it means. Products and brands that are absolutely dominant in the market will not lose their superiority, but mere fads will soon be weeded out by this process. For example, songs that aren't even very popular, but are a little trendy that sells only through publicity in the mass media, or clothing brands that are only temporarily popular with young people and sell well.
In other words, the process of evaluation according to the times repeats the following cycle.
Negative no common sense → Positive no common sense → New common sense → Common sense that is non-common sense in reality → Negative no common sense
First of all, innovations that are ahead of the times are initially classified as negative no common sense and are not evaluated at all, but if they are gradually recognized as "this is a novel idea", they are classified as positive no common sense And, for example, if it becomes even more dominant in the market and becomes a hit product, it will become the standard of the new era, in other words, common sense. However, if it becomes old with the times, it will be considered outdated and will be demoted to “Common sense that is non-common sense in reality.” And it will eventually return to negative no common sense.
Since the above is a summary, isn't this just repeating the same process forever? You might think that. However, by going through this process, it can also be interpreted that the times will progress gradually. However, as mentioned above, it is difficult to evaluate negative no common sense that is too ahead of the times, and there are many cases where it ends without being evaluated as positive no common sense or new common sense. Also, common sense that is non-common sense in reality
should be corrected and returned to common sense, but there are many cases where it is left uncorrected. I think law is a good example. I'm not an expert, so I don't know for sure, but it seems that there are cases where provisions that are already outdated are left as they are. Originally, such things should be corrected and corrected to common sense, or if they are judged to be unusable, they should be deleted from the text and classified as negative no common sense.