非常識超越平和思想のすべて~遥かなるおっぱっぴーの世界へといざなう~

はじめまして。おっぱっぴー芸術思想家KeithUと申します。自分なりに考えた平和思想を綴りたいと思います。10年間、いろいろ宗教や思想や哲学、政治などを学んだ結果、それをベースに自分で世の中がどうすればよくなるのか?平和になるのか?という観点でオリジナルの思想を考えてみました。おっぱっぴー平和思想=非常識超越平和思想or非常識超越平和理論といいます。ツイッターでは天才とある程度評価されていて、令和哲学者ノ・ジェス氏の関係者の方にSAMURAI1000に推薦された経験あります。

非常識超越平和理論(仮説と検証)7.常識と非常識の循環プロセスの定期的サイクル=流れと計上=最終評価について

非常識超越平和理論(仮説と検証)7.常識と非常識の循環プロセスの定期的サイクル=流れと計上=最終評価について

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、年間など定期的サイクルを通してのその動きの流れと最終評価について、仮説の通り可能かどうかを検証する。

 

ポイント:「常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証」においては、簡単な事例や数字データを元にそのサイクルのメカニズムを検証してみたが、より詳細に年間などの定期的サイクルを想定した上で全体の流れを追ってみる。

 

 

方法:簿記の借方・貸方のイメージはそのままで年間などの定期的サイクルをイメージしながらその流れを追い、それが最終的に計上=最終評価できるかを検証する。

 

 

<前回の事例を全部まとめる>

まずは、前回の事例を一度まとめてみる。方法は前回と同様に簿記の借方・貸方を応用してイメージしたシーソーのモデルで考えてみる。前回同様、下線の下部部分の左の領域を否定的非常識、右の領域を肯定的非常識、下線の上を常識の領域とする。

※前回と違い、今回は狭義のおっぱっぴーについても考察することとする。今回は下線の上の部分を二段階にわけて上部を常識の領域とし、下部の下線を引いた赤文字の項目が狭義のおっぱっぴーとする。

前回は書き忘れたが、このシーソーのモデルの数字の図を仮にシーソーのバランスシートと呼ぶこととする。

 

1.何らかのまだ起きていない未知の犯罪対策のために発明品70分が開発された。

2.世の中に感動を与えるハッピーなイベントAが発生した。

3.ある街で不法投棄が起こり被害額は200だった。

4.ある3つの村では女性は18歳になると結婚しなくてはいけない風習があったとし、村Aにとっては常識、村Bにとっては否定的非常識、村Cにとっては肯定的非常識となる。

5.国の法律により消費税が20%まで跳ね上がり、国勢調査およびネット世論により狭義のおっぱっぴーへと分類された。

6.麻薬取締法が制定されているが、麻薬犯罪は中々なくならないため法律も永遠に存続し続ける。

7, 世界中の統計データを分析してみたところ、世界の内200か国については軍事や国防は常識的に国の治安維持のために必要悪だと考えているとする。その場合は常識として計上される。しかし、5カ国は常識と思いながらも違和感を感じているので狭義のおっぱっぴーに分類される。そして、1カ国のみは恒久的な平和を望んでいるため否定的非常識に分類される。

 

                                           4.村Aの結婚の風習:1

                                           6.麻薬取締法:1

                                           7.軍事200か国:200

                      5.消費税20%:1

                                           7.軍事5カ国:5

3.不法投棄:200

4.村Bの結婚の風習:1

6.麻薬犯罪:1

7.軍事1カ国:1

 

 

 

1,発明品:70

2.イベントA:1

4.村Cの結婚の風習:1

 

 

以上、以前の検証の記事で事例として挙げたものを少しだけアレンジしてシーソーの表に書き込んでみた。

 

<この表から分かること>

まず、この表を1~7のイベントを順に追ってみる。

  1. 発明品70については犯罪予防効果が70あると見積もられているが、まだ未知の犯罪であるために肯定的非常識にあらかじめ70計上されている。これはシーソーが右に傾く効果があるが、世の中にとっては前もって犯罪対策ができているので特に問題ない。
  2. 2についてはある感動的なイベントAが発生したとするが、どのくらいの感動なのか定量化するのが難しいためとりあえず1として計上している。これは、このイベントによりどれくらい世の中の幸福度があがり社会の不満がなくなったり、社会問題の解決に寄与するのか計上できれば、ネガティブ因子と紐づけることができるのである程度定量化できるが、今回のケースは計測不可能とされた。1として肯定的非常識に計上されるため世の中の幸福度に貢献している。しかし、いつまでも肯定的非常識にとどまったままではなくいずれこのイベントは感動というよりむしろ当たり前の規則的なしきたりの行事へと変わって行ったら常識や狭義のおっぱっぴーへと変更されていくだろうし、それもやがてもはやすたれた行事とみなされれば否定的非常識となり、これがやがて世の中からなくなればモデル図から削除される。もちろん、このイベントが世間に感動を与えていても予算などの問題で中止されたとすると、肯定的非常識に分類されているのにモデル図から削除されることとなる。
  3. これは不法投棄がある街で起きているが、その市の行政は対応が遅れていて条例を制定してないためこの不法投棄問題に対処しきれてない状態である。そのため、被害額がそのまま否定的非常識として計上される→世の中のネガティブ因子
  4. 村の結婚の風習については以前の記事で説明したので省略する。
  5. 消費税20%は狭義のおっぱっぴーに分類されているものの、まだ何ら対策がされてないので法改正も行われていない状態である。これは国や政治に対する国民の潜在的反発量とも考えられる。後述の潜在的国民反発量(or対政府国民反発量)にて詳しく説明する。
  6. 麻薬取締法が制定されているが、法律だけでは犯罪に対処しきれていないので麻薬犯罪がネガティブ因子として永遠に残り続ける。しかし、麻薬取締法が法改正されて刑罰が強化されたとすると、被害が減る可能性もある。その場合は、麻薬犯罪の被害額の増減を定量化することが可能なら数値化して計測した方が世の中の問題を可視化しやすい。
  7. 200か国は常識として分類されているが他の5カ国は狭義のおっぱっぴーとして計上され、1カ国は否定的非常識として分類される。これくらいの割合ならほぼ問題ないが、これが仮にほとんどの国が軍事に反対する世界になったとすると、200か国近くが否定的非常識に分類されることになる。そうなると、もはや軍事についてはほとんど世界中が反対していることになるので、世界の平和を維持するためにはもはやもはや軍事以外のシステムを新たに構築する必要があるということになる。

 

 

<仮に計上=最終評価をしてみる>

ここで、ここで分類されたものが定期的サイクルの最終結果として一旦計上=最終評価をしてみる。この計上=最終評価というのは、この常識と非常識の循環プロセスがどれくらい効率的にサイクルを回っているのかを分析するのと同時に、シーソーのバランスやその他の世の中のポジティブネガティブ度合いなどを図る指標などを計上することである。

定期的というのは、会計の決算のようにある年度末など定期的にこの表を計上してチェックするとどれくらいサイクルが回っているのかその変遷と変化を見て取れることができるし、その年度末における世の中の状態を把握することにもつながる。

 

 

           4.村Aの結婚の風習:1

                                6.麻薬取締法:1

                                7.軍事200か国:200

           5.消費税20%:1

                                7.軍事5カ国:5

3.不法投棄:200

4.村Bの結婚の風習:1

6.麻薬犯罪:1

7.軍事1カ国:1

 

 

 

1,発明品:70

2.イベントA:1

4.村Cの結婚の風習:1

 

 

定量化したものと定量化できなかったものを合算する

 

単純にすべての数字を足し合わせて計算してみる。

 

常識:1+1+200=202+1+5=208

狭義のおっぱっぴー:1+5=6

肯定的非常識:70+1+1=72

否定的非常識:200+1+1+1=203

 

常識と非常識

単純にまず比較すべきは常識と狭義のおっぱっぴーの差や割合である。

常識の量202に比べて圧倒的に少ないとはいえ6の数字が「常識の中の非常識」として認識されている。割合的に言えばおよそ2.97%である(6÷208×100=2.88%)

→ これを「常識の中の非常識率」あるいは「狭義のおっぱっぴー率」とも呼べる。

 

肯定的非常識と否定的非常識

単純に肯定的非常識の72に対して否定的非常識は203なのでシーソーが左に傾いている仮の非常識均衡になっていると思われる。これはシーソーのバランスシート的に言えばあまり好ましくない状態である。この図は事例としてはシンプルなので単純に見れば発明品の分70に対して、不法投棄200分が対処されてないので、その分がネガティブ要因として働いていると考えられる。

 

 

想定される問題

ここで考えられる問題は、定量化したものと定量化できなかったものを合算すると定量化できる項目の中の外れ値の影響を多大に受けてしまうということである。

 

例)例えば常識の割合が100で狭義のおっぱっぴーが80の状態だったとすると、狭義のおっぱっぴー率は80%となり非常にバランスの悪い不健全な社会になるが、そこに例えば1億などかなり莫大な数字で定量化できる常識が発生したとする。そうなると狭義のおっぱっぴー率は80%から限りなく0%に近づくこととなり、あまり社会全体の現状を正確に反映しているとは言い難い。これはこの1億で定量化できる常識が発生したことにより外れ値が生じて平均がいびつになったからだと思われる。

 

つまり、結論から言えば定量化できるものと定量化できないもので分けて分析して、合算したものについてはあくまで全体の大まかな指標として捉えるべきである。

しかし、この全体の合算したものでしか全体の流れを把握することはできないのでやはり全体像を知る上では重要な指標となる。

 

つまり以下のように結論付けることができる。

 

全部を合算したもの:全体像の流れの把握とサイクルが上手く回っているかの度合い

定量化できるもののみで合算したもの定量化できるもののみの流れの把握と定量化できるもののサイクルが上手く回っているかの度合い

定量化できないもののみで合算したもの:定量化できないもののみの流れの把握と定量化できないもののサイクルが上手く回っているかの度合い

 

特に、常識の中の非常識率=狭義のおっぱっぴー率については全部を合算したものは影響を受けやすいと考えられる。

 

 

 

定量化したもののみを合算する

 

定量化したもののみで合算してみる。

 

常識0

狭義のおっぱっぴー:0

肯定的非常識:70

否定的非常識:200

 

先ほどとは打って変わってシンプルである。

常識や狭義のおっぱっぴーは0ということになる。

これは定量化できるもののうち常識や狭義のおっぱっぴーに該当するものがなかったということを表す。

 

対して、肯定的非常識は70に下がり、否定的非常識も200に下がる。

これは単純に数値化できるものの総額としてネガティブな要因の方が勝っていることを表している。今回のケースの場合は定量化できいないものの数量が極端に少ないため合算したものと比べてあまり違いはみられない。

 

 

 

 

 

 

 

定量化できなかったもののみを合算する

 

定量化できなかったもののみで合算してみる。

 

常識:1+1+200=202

狭義のおっぱっぴー:1+5=6

肯定的非常識:1+1=2

否定的非常識:1+1+1=3

 

 

まず、狭義のおっぱっぴー率についてはどちらも定量化できなかったものなので、全体での計算結果と違いはない。

肯定的非常識と否定的非常識の対比に関しては、全体での計算結果と違い数字的にあまり違いがみられなくなった。これは定量化できるものの数字が除去されたことに起因する。

なので、単純に否定的非常識の数字が下がった=いいという意味にはならない。

こういう場合は先述のネガティブ因子指数ネガティブ因子比率などで数値化してみると分かりやすい。

 

 

ネガティブ因子指数

ネガティブ因子÷全体量×100

 

定量化できなかったもののみを合算した場合

3÷213×100=1.4%

 

全体で合算した場合

203÷483×100=42%

 

この結果から、ネガティブ因子指数の割合で見るとやはり定量化できないもののみで合算した場合は、ネガティブ要因の割合が少なくみてとれる。それでは、ネガティブ因子比率でみるとどうなるか?

 

ネガティブ因子比率

ネガティブ因子÷ポジティブ因子×100

 

 

定量化できなかったもののみを合算した場合

3÷2×100=150%

 

全体で合算した場合

203÷72×100=281%

 

この場合も、ネガティブ要因の割合が下がっている。

このように実際に数字で対比させてみるともっとはっきりと分かる。

定量化できなかったものは数字1ですべて換算されているため、定量化できるものの数字を除去するとポジティブ因子とネガティブ因子の数字にあまり違いがなくなるようにみえるが、実際にこのように対比させることでその影響度を取り除いた結果が分かる。

そして、実際には割合的には下がっているものの実情はネガティブ因子の方がポジティブ因子より150%多い=1.5倍となっているわけなので、実情はあまり世の中的にはよくないとも言える。

 

 

 

 

問題点

 

1,定量化できないもので1として計上した分類項目でもそれぞれ価値が違うので全部一様に1として計上していいのか?例えば、同じようなイベントが二つあったとしてもあるイベントAは世の中にものすごく感動を与えたとして、一方イベントBはそこまでの感動が起きなかったとすると、同じ内容のイベントであってもポジティブ要因としては量的に違う性質のものと考えられる。この場合はどのように計上したらいいのか?→できるだけ定量化した方が世の中のポジティブ要因やネガティブ要因の総量を可視化することができる。しかし、あらゆる項目を定量化するのは方法としては計測するのが困難で、計上するときも手続きが煩雑になる可能性がある。

 

2.項目によって常識と非常識に循環プロセスを回るスピードや変更頻度、または変更するタイミングやそのパターンや傾向などは実に様々であり、単純に循環プロセスをうまく回っているかどうかを把握するのはモデル図だけでは把握できない?→モデル図がうまく循環している=あらゆる項目がうまく平均的に回っているという仮定のもとに最終評価する。

つまり、あくまでアバウトな概念であり平均的にはこうだ、という結論でしかない。

しかし、それでもこのモデル図だけでアバウトには世の中の動きの流れが可視化できる。

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)6.矛盾指数をどのような概念とするべきか

非常識超越平和理論(仮説と検証)6.矛盾指数をどのような概念とするべきか

仮説検証の目的:ブログ記事でも簡単に矛盾指数の概念について案を書いたが、実際に統計学の知識を元にどれだけ実行可能か?または具体化できるのか?を検討する。

 

 

ポイント:矛盾指数は、実際の統計学の専門知識がなく思いついた発想でしかないため実際に実現社会において適応かのうかを検討する必要がある。

 

 

方法:統計学の入門書レベルの知識をベースに様々な案について考察してみる。

 

参考文献:「データ分析に必須の知識・考え方 統計学入門 仮説検定から統計モデリングまで重要トピックを完全網羅 Kinde Edition」阿部真人著

 

 

矛盾指数の概念

矛盾指数とは簡単に言えば、常識と非常識の循環プロセスにおいて、分類項目をある項目からある別の項目へと振り分けるための統計的指標ではあるがおおざっぱな概念であり仮説(あるいは仮案)でしかない。暫定的にではあるが、主に以下の内容のものが案としては考えられる。

 
   

 

  • 矛盾していたら矛盾有利、矛盾していなかったら矛盾不利となる統計的指標    
  • 110くらいまでの賛成度の割合などを分布で表して、平均や中央値

最頻値、標準偏差などを出す。

  • ある常識(例:法案など)がどのように妥協されて改正されたら    

母集団に該当する人たちの不満度は下がるかなどを回帰分析で表す。

 

上記のように分類できる。①については今までの記事ですでに書いてある常識と非常識を統計データで振り分けるものなので説明は省略する。

②と③は主に①のデータだけでは不十分と思われる場合などに用いられるいわば補助的データに該当するもので、常識と非常識の分類項目を変更する際の指標として参考にするべきものになる。①~③までのデータを主に指標として総合的に勘案したあとに判断する。

<注意点>

矛盾指数の概念は①~③のどれも母集団をはっきりさせないことには統計データを集計できない。日本国内の問題の場合は日本全国からできるだけ多くの標本=サンプル数を集めなければならないが、多くの場合は全国統計を取るのはコスト的にほぼ不可能である。解決方法としては以下のものがある。

 

解決方法

1.ネット社会なのでできるだけネットを駆使してアンケートによる徹底調査を行う?その際、ネット人口の多い若者に対象者が偏らないように注意する。

2.標本をできるだけ多く集めたら、標本の分布がある程度分かるのでそこから母集団を推測する?

3.すでに多くのデータが日本全国各地にあるのでそれらのデータも集めて参考にする。

例)国勢調査国立国会図書館の文献など

※それ以外にも情報化社会なのでいくらでもネットに様々な情報やデータベースがある。

 

 

その他の問題

 

日本国内の問題ならそこまで統計データを取得するのは困難でないかもしれないが、国際問題の場合などはもはや世界中から統計データを取得して分析するのはほぼ不可能ではないか?

その場合はネットを駆使してできるだけ標本から母集団を推測する?

 

※しかし、その際はできるだけ国籍、人種、性別、言語、文化圏、性別、居住地域、年収、既婚未婚などあらゆる属性が偏らないようにデータを収集しないといけない。外れ値などが発生すると特に統計データが曖昧になる?

 

 

結論

以上、これらのものはあくまで推測によるものであり、自分なりにこうした方がいいと思う暫定案でしかない。実際の社会と照らし合わせてこの方法が適応可能かどうかは不明な点が多く、疑問点や不安点も残っているのが現状である。

 

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)5.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証2

非常識超越平和理論(仮説と検証)5.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証2

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、主に定性的データがどのようにサイクルを回るかを検証する。

 

ポイント:前回は定量的なデータで計測可能な項目を扱ったが、今回は定性的なデータを元に循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについて分析する。

 

 

方法:前回同様、簿記の貸方、借方のようなイメージで事例を用いながら分析してみる。

 

 

<数字による検証>

以下の例を示す。

 

ケース1:ある村Aの結婚の風習

 

  • ある村Aでは女性は18歳になったら結婚しなくてはいけない古いしきたりがあったとする。この村では常識として認識されているのでこの村の人たちは何らその風習を疑問に持っておらず、みな幸せに生活しているとする。1として計上される。

 

            村Aの結婚の風習:1

 

 

 

 

  • この村Aではこの古いしきたりが問題視され、ある日反対運動の暴動が起きたとする。

もはやこの風習は非常識としてこの村では認識されているので否定的非常識として計上される。

 

村Aの結婚の風習:1

 

 

 

  • ある村Bでは同じようなしきたりがあって最初から否定的非常識とみなされてこの慣習がなくなるのも時間の問題となっている場合

 

村Bの結婚の風習:1

 

 

 

  • ある村Cではこの結婚の風習よりもさらに古いしきたりがあり、女性は貞操観念を保つために結婚してはいけないなどと異常なルールがあったとする。この場合はこの村Cにとっては18歳から結婚するのであってもまだマシで幸せなしきたりに感じる女性が多い。

この場合は、村Cにとってはこのしきたりは肯定的非常識となる。

 

 

以上3つの村における結婚の風習についてみてきたが、まとめると以下のようになる。

つまり、村Aにとっては常識、村Bにとっては否定的非常識、村Cにとっては肯定的非常識となる。これはある意味世の中的には3つの村の平均をとってバランスが取れているともとれる。だからシーソーのバランスが保たれる。

 

                             村Aの結婚の風習:1

村Bの結婚の風習:1

村Cの結婚の風習:1

 

しかし、ここで3つの村すべてこの結婚の風習は異常だとみなされた場合はすべて否定的非常識に振り分けられる。こうなると、ネガティブ因子が増え世の中的には悪いことの方が多いとみなされるので否定的非常識の方にシーソーが傾く。

 

 

村A~Cの結婚の風習:3

 

 

 

 

ケース2:国の消費税

 

  • ある国では消費税が20%にまで跳ね上がったが、国民がいくら抗議しても国が無理やり法律化して制定したため常識あるいは狭義のおっぱっぴーとして計上される。

 

            消費税20%:1

 

 

 

  • しかし、ここで国がこの消費税反対のための運動が起こり狭義のおっぱっぴーから完全に否定的非常識として分類されたとする。

 

 

消費税20%:1

 

 

 

  • 暴動が起きたことにより政府は消費税率を改めて見直すことを検討して消費税率は10%に戻すことを検討し始めた。この場合、肯定的非常識に暫定的な案として消費税10%が見込まれる。

 

 

消費税20%:1

消費税10%:1

 

 

  • 政府が国民の意見を聞き入れ完全に消費税率が10%として改めて定められた。この場合、国民は納得したため再び常識に振り分けられる。

 

                                 消費税10%:1

 

 

 

 

 

ケース3:覚醒剤取締法と麻薬犯罪

 

  • 覚醒剤取締法が制定されているが、麻薬犯罪は中々なくならないため法律も永遠に存続し続ける。

 

          覚醒剤取締法:1

麻薬犯罪:1

 

 

これは、否定的非常識の方にシーソーが傾くことになる。これは、法律が犯罪に対処しきれてないことになり、世の中のネガティブ因子が残ったままであることを示す。

 

  • この麻薬犯罪についてはあるいは、被害総額が計測可能だとする。例えば被害額が300とするとそれに完全に対処しきれた場合は覚醒剤取締法も300として計上される。

 

          覚醒剤取締法:300

麻薬犯罪:300

 

 

 

ケース4:軍事と国防について

 

  • これは、国によって軍事や国防を肯定的に捉えているか否定的に捉えているかによって異なる。

 

例えば、ある国Aにとっては軍事や国防は常識的に国の治安維持のために必要悪だと考えているとする。その場合は常識として計上される。

 

           軍事(A国):1

 

 

 

  • しかし、B国は恒久的な平和を願っている国だとしたら国防や軍事は否定的非常識に分類される。

 

軍事(B国):1

 

 

 

問題点:軍事に反対する国では否定的非常識に分類されるが、これは戦争に反対して平和を願っているのかもしれないため、一概にネガティブ要因とは言えないのでは?

→ この点については別の考え方や方法で再検討する必要がある。

 

 

ケース5:戦争や紛争など

 

※戦争や紛争の被害額総額は計上しきれない。そもそも、人の命は金額では換算できない。仮に換算できたとしても、戦争は永久になくならない?

 

→ 否定的非常識に分類し続けたら数値が飛躍的に増加し続ける?

→ 常識と非常識の循環プロセスのモデルでは計上しきれない?

 

仮に無理やり計上したとしたら以下のようになる。

 

戦争および紛争:∞

 

 

→これは計上しようがないので、循環プロセスのモデル図とは別のモデルで計上する必要があるのでは?

 

 

その他問題点

 

常識と非常識の循環プロセスのモデル図だとサイクルをうまく回ってない項目を計測対象外にしないと計上できない?→あるゆる事象や事柄を対象にしないと均衡のメカニズムについての説明力がなくなる。

 

つまり、常識と非常識の循環プロセスのモデルにおいては、ある領域に固定されてサイクルを回ってない項目についてはその分を計上時にモデル図から削除する。

 

そして、あらためてこの循環プロセスのモデル図とは別のモデルを設ける必要がある?

 

→常識と否定的非常識と肯定的非常識の分量だけ計算して、ある領域から別の領域への移動量を計算する?→プロセスの循環している度合いの目安になる。

 

 

 

 

<国の法律や条例などについて>

 

  1. 法律や条例などは政治家が国民の意思に反して制定してしまう可能性があるので、常識にされてしまうが矛盾指数により狭義のおっぱっぴーに振り分けるとどれだけの法律や条例が国民の意思に反しているか割合がわかる。そしてデモや暴動が起きて政治に圧力がかかると否定的非常識として分類される。
  2. 法律や条例などがもはや犯罪や違法行為と同じでネガティブ因子に含まれるようになるため、国の法律や条例がどれだけネガティブ因子指数あるいはネガティブ因子比率(ネガティブ因子とポジティブ因子の割合)に寄与しているかがわかるようになる?
  3. 法律や条例が否定的非常識に分類されている割合が高いとシーソーが左に大きく傾くため、もはや世の中のバランスが悪くネガティブ要因を取り除かないといけないという指標になる。これらのデータを政府に示すことができれば、政治家に改善要求することが可能? 
  4. もしそれにより政治家が意向を変えて国会で議論した結果、国民の総意に同意したなら新たな法案が作られる。

 

※ネット署名やパブリックコメント?なども必要だが、それと同時にこのモデル図をレポートないし調査報告書として国会に提示すれば、外部圧力の効果が多少ははかれるのではないかと考えられる。

※問題は狭義のおっぱっぴーと否定的非常識の違いが曖昧だからどのように振り分けるべきか?ということかと思います。しかし、振り分けられなくても政府の行動に矛盾があればどの道、その指標となる。だから外部圧力による効果ははかれる?

 

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)4.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証

非常識超越平和理論(仮説と検証)4.常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、どのようにサイクルが回るか、あるいはどのようにして均衡のメカニズムになるのかさらに検討する。

 

ポイント:前回の検証では非常識均衡が成立するかそのメカニズムを簡単に検証してみたが、さらにそれを詳細にどのようなプロセスやサイクルによって可能になるのか?検討する。

 

 

方法:簿記の借方・貸方のように数字や分類項目がどのように循環するかそのサイクルを、実際にシーソーをイメージしながら簡単な数字を元に検証する。

 

 

前回の記事をまとめると

  1. 常識:否定的非常識からスタートすることがあるが基本的には常識の領域にとどまることが多く、時代遅れになると否定的非常識に分類され世の中から必要とされなくなればモデル図から削除される。
  2. 肯定的非常識:最初はあまり理解されないことが多いため否定的非常識からスタートして、肯定的非常識→常識→狭義のおっぱっぴー→否定的非常識へと変化していく。そして、常識と同様に世の中から必要とされなくなればモデル図から削除される。
  3. 否定的非常識:否定的非常識の領域のとどまるものが多い。新たな法律や取り締まる方法などの仕組みができ犯罪がなくなったとしても、新たな犯罪がまた生じるイタチごっことなっている→否定的非常識の領域のとどまりながら増減を繰り返す。

 

以上のような結果になった。

 

この1~3から推測して分かることは、否定的非常識の領域のネガティブ因子のものだけが増減を繰り返し、後の領域のものは循環プロセスの間をぐるぐる回って最終的には否定的非常識に戻されやがてモデル図から削除される、ということがいえる。

これらについて簿記をイメージしながら簡単な数字で検証してみる。

 

 

 

 

<数字による検証>

以下はシーソーをイメージしている。下線の下部部分の左の領域を否定的非常識、右の領域を肯定的非常識、下線の上を常識の領域とする(この際、単純化するため狭義のおっぱっぴーについては度外視する)

※まずは定量化できるもの=肯定的非常識の発明やイノベーション、否定的非常識のネガティブ因子などを分析してみる。

 

 

1)ある犯罪が新たに生じて今年の発生被害額は100だった。

 

100

 

 

2)この犯罪を防止するための何らかの道具がある博士により発明されたが、世間に理解されずに否定的非常識として評価された。まだ市場で評価されてなく、計測不可能ためあえてゼロとする。

この場合は犯罪に対処できていない世の中のため、否定的非常識の方が分量が多くシーソーが左に傾く。

 

100        0

 

 

3)この発明品が市場で評価されたがまだ大多数の人には受け入れていなく肯定的非常識として認識されている。この際、この発明品はこの犯罪を完全に食い止める効果があると見込まれるためあえて100として仮計算される。この場合、犯罪は100だが、犯罪に対処できる発明品が市場にあり肯定的非常識として分類されているためシーソーはバランスが取れている。

 

100

100

 

4)この発明品が市場で全国的に評価され始めて世の中のスタンダードとして評価されると常識に分類される。この場合、肯定的非常識から常識の領域へとシフトするため、シーソーが左に傾く。

これは肯定的非常識にまた新たなる犯罪が起きたときのための発明品がまだ生み出されてないので循環プロセス的にはうまくまわってなくシーソーが一時的に左に傾くと考えられる。

 

                                  100

100

0

 

 

5) しかし、それによってこの犯罪がもしなくなったとしたら?(あるいは犯罪件数が減ったとしたら?)ここでは犯罪被害額が30に減ったとする。そうするとこの発明品は被害額70に対処する効果しかないことが判明するため70の価値に減額される。

 

                                             70

30

0

6)この犯罪をする輩が新たに増えて犯罪被害額がまたもや倍増し60となる。そうすると、この発明品を増産してすべての犯罪を食い止めることに成功したとする。すると、発明品の犯罪防止効果は70+60=130となる。

 

                 130

60 → 0

 

 

 

7)この犯罪はこの発明品によって犯人が凝りて二度と起こさなくなったため被害額は永久に0となる。そうすると、この発明品は存在意義がなくなりもはや時代遅れものものとみなされ否定的非常識に分類される。そして、その時は市場価値が著しく下がり0に限りなく近くなりやがて0となりモデル図から削除されることとなる。

 

 

0に限りなく近い→0

 

 

 

8)また、新たな別の種類の犯罪が流行りだして今度は200の被害額が全国で生じたとする。

このように否定的非常識に分類されるネガティブ因子は永遠にイタチごっこのように増減を繰り返す。そして、このようにして、否定的非常識のネガティブ因子が永遠い増減し、同じ領域に市場に評価されてない発明品およびイノベーションが生じて、それが肯定的非常識→常識→狭義のおっぱっぴー→否定的非常識へと変化していきやがてそれがまたゼロとなる。

 

 

200      

 

 

 

例外

先ほどは発明品が全ての犯罪に対処できた場合の例を示したが、今度は対処しきれなかった場合はどうなるのか?例えば、6)の例で言えば60のうち30しか犯罪に対処できなかったとする。

発明品の市場価値は100とり、否定的非常識のネガティブ因子は30のまま残る。

 

                                     100

60 → 30

 

 

その後、この発明品はこれ以上この犯罪に対処できないとみなされ市場での価値を失う。

 

            

30          0

 

 

 

結果として、発明品は世の中から必要とされなくなりモデル図から削除され、犯罪だけが30残る。

 

しかし、この後にこの犯罪に対処できるさらなるすごい発明品が生まれたとする

この発明品はさらに高性能で既存の犯罪被害額30だけでなく、新たな別の犯罪にまで対処できると市場で見込まれた場合は肯定的非常識に100として分類される。

この状態だと、肯定的非常識の分量が多いのでシーソーが右に傾く。これは、この発明品が常識として受け入れられていない=過小評価されている状態のバランスが悪くなっている状態である。

 

30          

100

 

                       

0          0

70

 

この場合は、犯罪被害額30分には対処し、この発明品の30分の役目は終わったのでモデル図から削除し、70の分は新たな潜在的に起こると予想される犯罪に対して設けられた分で肯定的非常識として市場に予想額として見込まれている状態。

 

 

 

<ネガティブ因子と対応していない肯定的非常識のポジティブ因子>

※ここでいうポジティブ因子とは肯定的非常識に分類されるもののうち世の中にいい影響を与える要因のもの。これは、ネガティブ要因は否定的非常識に分類されるものに含まれるものに該当するが、ポジティブ要因は肯定的非常識に該当するもののうちほとんどのものが含まれると思われる。

 

 

ネガティブ因子と対応していないというのは、先ほどの例のようなネガティブ要因と相殺不可能なものである。以下に例を示す。

 

 

1)世の中に感動を与えるハッピーなイベントAが発生したとする。

このイベントは何らかの基準を設けて価値を数値化できる可能性もあるが、否定的非常識のネガティブ要因とは対応してないので相殺不可であるため大きな数を割り当てるとシーソーが右に傾き過ぎて循環プロセスの回り具合が把握しづらくなる→数字1として換算する。

 

 

イベントA:1

 

2)ここで、ある街の駅前でかなり異臭の発生するゴミが不法投棄される事件が頻発したとする。被害額はこの不法時されたゴミの撤去費用やクリーニング、清掃費用などを勘案して結果およそ100として計上されたとする。

 

不法投棄:100

イベントA:1

 

3)この不法投棄を強制的に撤去しないと罰金になる条例が制定されたとする。

この条例ですべてのゴミ不法投棄問題が解決したとする。

 

                         条例:100

不法投棄:0

イベントA:1

 

この条例はもう必要ないので否定的非常識に分類されるべきだが、またゴミの不法投棄が同じ地区で再発する可能性があるので、そのまま条例は残すこととする。しかし、この条例はいまのところ不法投棄問題が起きてないため価値は0になる。

 

4)ここで、また別の地域で新たな不法投棄が起きたとして被害額は今度のケースは200とする。

そして、ある日この地域でゴミの不法投棄撲滅キャンペーンが起こり、ハロウィーンやアニメキャラなどのコスチューム(コスプレ)を着てゴミの撤去作業のボランティア活動がムーブメントになったとする。その場合はこのキャンペーンの価値は200の被害額を相殺できると見込まれて200と見積もられる。

 

           条例:0

不法投棄2:200

イベントA:1  キャンペーン:200

 

5)このキャンペーンによって不法投棄2はすべて撤去され解決されたとする。この場合、このキャンペーンはもうこの地域で必要なくなるので価値は0になる。

 

                    条例:0

不法投棄2:0 キャンペーン:0

イベントA:1

 

6)この不法投棄が永久になくなりキャンペーンも必要なくなり価値がゼロになるが

イベントA:1だけがポジティブ要因として肯定的非常識の領域に残る。

                    

                                                 条例:0

不法投棄2:0 キャンペーン:0

イベントA:1

 

※このイベントAはネガティブ因子とは対応していないので肯定的非常識の項目として1が計上されたままとなる。これは肯定的非常識のポジティブ要因が1増えているとみなせるので、その分世の中が明るくなったと考えられる。しかし、これではシーソーのバランスが取れなくなり均衡のメカニズムの証明ができないことになる。

 

解決案1:最終的に計上する時にこのイベントはシーソーのどちらかに傾く?

→ この際、否定的非常識に残されたまま1として換算されている。

 

例)あるイベントの計上分1がこの世から必要なくなり否定的非常識となり1のまま残っている。

このようなものがすべて同じ割合でプロセスの中を平均的な割合で循環していれば相殺すれば肯定的非常識の項目と否定的非常識の項目が打ち消し合って0となると思われる。

 

ケーススタディー>

しかし、これらのイベントの項目はすべて平均的に循環しているとは限らない。

イベントAひとつの項目なので1として計上されるが、あるイベント3個分は誰かが思いついた時点で最初から世の中から必要とされてないという場合

→否定的非常識に3として計上されている。

この場合は否定的非常識の分量の方が多いのでシーソーが左に傾く。

 

 

イベント3個分:3

イベントA:1

 

 

 

問題点

 

  1. 定量化して数字で市場価値などを計算する時に今年の犯罪被害額分や対処できた分のみを記載すればいいのか、あるいは年度ごとではなく毎年の合計を計算すればいいのか、どちらがいいのか?
  2. 定量化してしまうと常識の金額が多ければ多いほど「常識でがんじがらめの社会」ということになってしまわないか?実際は犯罪に対処できた金額が多いからこそ数値が上がっているのに反対の意味にとれてしまう?

→ これは定量化できるものと定性化しかできないものとで分けて考える必要がある。

定量化できるものの分については常識の金額が増えても問題ないとする考え方。

 

 

残る課題

 

  • 定量化できるものとそうでないものとを分けないといけないのでどうのようにモデル図の中で数量化して計算するべきか?
  • 定量化および数値化はあくまで主観的な観点によるものなので、それをいかにして客観的なデータに数量化するか?→統計を取ってあらゆる人から意見をサンプリングする?
  • 仮の非常識均衡になる場合のケースについても要検討
  • 定量化できるものについてはポジティブ因子とネガティブ因子がそれぞれ対応しているか?

例)さきほどの犯罪とそれに対処可能な発明品の場合は、対応しているので最終的には消去されて相殺可能であるが、そうでない場合はポジティブ因子とネガティブ因子は対応していない=必ずしもお互いに関連し合ってない。その場合は肯定的非常識の方にシーソーのバランスが傾くことになる。これは、考えてみたら分かるが、対応するネガティブ因子がない=ネガティブな要素が世の中にない、ということになる。それにも関わらずポジティブ要因だけ発生している状態なわけだからシーソーが右に傾くこととなる。しかし、シーソーが右に傾いている分には世の中的にはあまり問題なく、むしろ否定的非常識のネガティブ因子が増えることこそが世の中の悪化の原因でもある。そして、そのポジティブ因子も肯定的非常識から常識へと変われば再びシーソーのバランスが保たれることになるので再び問題は解消される。

 

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)3.非常識均衡が成立するかどうかの検証

非常識超越平和理論(仮説と検証)3.非常識均衡が成立するかどうかの検証

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、非常識均衡のメカニズムをより詳細に考察および分析し、その実態を明らかにし仕組みとして成立するかを検証する。

 

ポイント:非常識均衡はあくまで仮説として提示している段階なので、それを色々な常識や非常識あるいは社会的な事象に照らし合わせて、メカニズムとしてそもそも成立するのか?どうかを検証する

 

 

方法:まず常識、狭義のおっぱっぴー、肯定的非常識、否定的非常識の事例を取り上げてそれが常識と非常識の循環プロセスの中でうまくサイクルとして回るのかどうか?を考察してみる。

 

 

  1. 常識

常識の種類や事例

 

  1. 慣習やルールやしきたり
  2. 会社など組織の理念
  3. 法律や条例
  4. ニュース
  5. 流行
  6. 世間で認知されていて通説となっている学説・理論
  7. 市場でスタンダードとなっている商品やイノベーション
  8. 常識とされているあらゆる職種における仕事のやり方や手法
  9. 生活仕様
  10. その国における文化
  11. 社会的な風潮
  12. コミュニティーにおけるルール

 

以上、上記のようなものが常識の事例として当てはまる。

※それ以外にもあると思われるがキリがないのでここまでの範囲とする。

 

 

 

これらのもので定量化できるものとあくまで定性化しかできないものとに分けて考える必要がある。

 

常識に分類されたa)~l)に該当するものは、定量化できるものと定性化できるものとに分かれるが、ほとんどのものは定性化できるだけにとどまると考えられる。

例えば、c)における消費税は10%である、というような法律があったとしてもそれは事実というだけで定量化できる性質のものではない。d)のニュースなども「ロシアがウクライナに侵攻した」という報道があり、それが全世界共通の認識となり常識として分類されたとしても、それは既成事実というだけであり定量化するような事柄ではない。その他、f)やh)などもその類に分類されるものである。心理学のユング派?とかフロイト派?など色々あると思われるが学説自体は定量化されるものではない。h)などもビジネスにおけるマーケティング理論や、株投資におけるドルコスト平均法など、その他にもKJ法コンプライアンス、コーポレートガナバンス、内部統制、定量分析、原価計算、品質管理、生産管理、連結決算など実に様々な手法や形式が存在する。

建築などにゴシック様式とか和式や和洋折衷など様々な手法があるし、大工や職人の仕事ひとつとっても実に様々な伝統的技巧から新しい手法まである。

生活様式は、アーミッシュや、ヴィーガンなど様々なスタイルが存在するし、文化もアイヌ文化、スペイン文化、地中海文化、ヒッピー文化などいろいろある。

よって、

 

以上、挙げたらきりがないがほとんどのものは「既成事実」に該当するため定量化不可能である。

 

常識と非常識の循環プロセスにおいてどのように分類するべきか?

以下のパターンが考えられる。

 

  1. 一つの事象=常識として捉えて、そのまま記述する
  2. 一つの事象=常識として捉えて、数字1として換算して計測可能にする

※あるいは1,2の両方を取り入れる?

 

 

常識の種類や事例のものが循環プロセスの中をどう回るか?

 

  1. 慣習やルールやしきたり

最初は、新しい概念のものは世間に受け入れられなくて否定的非常識と見なされる傾向が強い。よって、否定的非常識→肯定的非常識→常識のように変化し循環していく。しかし、時代遅れになれば狭義のおっぱっぴーとなり、再び否定的非常識に戻される。

 

  1. 会社など組織の理念

a)と同じ

 

  1. 法律や条例

a)と同じだが、政府や行政が強制的に執行することが多いので最初から否応なしに常識に分類される可能性が高い。そして、国民の認識としてはすでに狭義のおっぱっぴーにとどまっているにも関わらず、否定的非常識に分類されないことが多い。これは矛盾指数により統計をとり否定的非常識に分類されるべきものが多い。

 

  1. ニュース

常識にとどまるものが多いと考えられる。よって循環プロセスの中をぐるぐる回ることはない。

しかし、そのニュースで報道されたものが事実ではなく実は誤ったものだと後で分かった場合は、否定的非常識に分類される。

 

  1. 流行

a)と同じ

イノベーションなどと同じような性質を持つと思われる。

 

  1. 世間で認知されていて通説となっている学説・理論

a)と同じだが、学者の権威によってはいつまでも淘汰されずに狭義のおっぱっぴーに留まる性質が強いと思われる。これは修正および是正して常識に戻せる可能性があるなら戻すが、ほとんどは不可能だと思われるため、矛盾指数により統計をとり否定的非常識に分類されるべきものが多い。

 

  1. 市場でスタンダードとなっている商品やイノベーション

a)と同じ

※流行と同じような性質を持つと思われる。

 

 

  1. 常識とされているあらゆる職種における仕事のやり方や手法

a)と同じ

 

  1. 生活様式

a)と同じかあるいは最初から常識として認識されてきた。

 

  1. その国における文化
  2. と同じかあるいは最初から常識として認識されてきた。

i)と性質は似ているが、時代とともに文化は発展する傾向がある可能性もある?

例えば、同じ日本という国でも江戸時代は鎖国した日本文化そのものだが、明治以降は文明開化をして西洋の影響をたくさん受けてきた。

分類方法としては、すでに時代遅れになってる文化(例えばヒッピー文化など)も明らかに非常識とみなされない場合は常識のままとどまることとする。

 

  1. 社会的な風潮

a)と同じ

※流行と同じような性質を持つと思われる。

 

  1. コミュニティーにおけるルール

a)と同じ

 

以上のように分類可能だと思われる。

この分類した結果分かることは、ほとんどの常識と呼ばれるものは最初は否定的非常識として分類され肯定的非常識、常識、狭義のおっぱっぴーと変化していき、最終的に否定的非常識のもどされる性質のものが多いことが分かる。

そうすると、否定的非常識に最終的に振りもどされそこまま否定的非常識としてずっと分類されたままその領域にとどまるものが多いと考えられる。

しかし、否定的非常識に分類されたものでもその後にその事実および事柄そのものがこの世から抹消されたとしたらどうなるか?

 

例えば、時代遅れになり否定的非常識に分類されていた「〇〇仕事術」というビジネス手法があったとして、それが世の中で完全に使用されなった場合

 

 

結論

→それは結論から言えば、常識と非常識の循環プロセスの図から削除されることになる。

 

つまり、否定的非常識に分類されたままだとシーソーのバランスが左に傾いたままになる可能性が高いので世の中における必要性がなくなったらモデル図から削除するのがいいと思われる。

 

 

残る課題と問題点

 

常識と思われて分類される項目でも「ある地域では常識だが別の地域では非常識にあたる」ものなども発生する可能性がある。

それらについては以下の方法がある。

 

1.改めて矛盾指数などで統計を取って分類し直すなどの方法も考えられる。

2.地域ごとに項目を別にする?

 

問題点:地域ごとに項目を分類すると項目がとてつもなく大量に増加してしまい分析・管理するのが大変になる。

 

 

 

  1. 肯定的非常識

 

肯定的非常識の種類や事例

 

  1. 発明やイノベーション
  2. 芸術作品など著作物
  3. 感動的な出来事
  4. センセーショナルな流行
  5. 斬新な企画やアイディア

 

などが考えられる。これ以外にも事例はたくさんあると思うがキリがないのでこれまでにとどめることにする。

 

 

これらのうち、a)、については前回の検証で書いたようにそのイノベーションが起きたことによる世の中の増加した利益(企業の売り上げなど)によってある程度計測可能であるが、それ以外の項目については定量化不可能なものが多いと思われる。

感動的な出来事がどれだけ世の中に感動を巻き起こしたのか?というのは例えばそれによって世論がこのように動いてそれが〇〇に影響を与えた?とかならば数字として計測したりある程度定量化できるが、ほとんどの場合はほぼ計測不可能で仮にできたとしても困難極まりないと思われる。

イノベーションについての売り上げについては単純に合計で考えてもいいが、業界ごとにそのイノベーションの重要性や、その業界あるいは企業の規模や日本経済への影響度などを勘案して、加重平均などで算出する方法なども考えられる。

 

 

結論

 

結論から言うと、肯定的非常識も常識と同じくほとんどが時代遅れとなると再び否定的非常識にまた振りもどされることになる。そして、世の中から完全に必要とされなくなればモデル図から削除されることとなる。

 

 

 

  1. 否定的非常識

 

否定的非常識の種類や事例

 

  1. 違法行為や犯罪
  2. 違法行為ではないが、パワハラなどモラルに反すること
  3. 不条理な出来事
  4. 不幸な出来事
  5. 世の中にまだ評価されてないイノベーションなど

 

 

以上、上記のようなものが否定的非常識の事例として当てはまる。

※それ以外にもあると思われるがキリがないのでここまでの範囲とする。

 

 

このように分類すると否定的非常識はほとんどのものはその分類のままとどまることになる。考えたら分かるが、違法行為などがある日突然、肯定的非常識になるということはない。

つまり、否定的非常識の領域のたまったままになってしまう。

→ 否定的非常識の領域だけどんどん増加していきシーソーのバランスが左に傾く。

 

 

解決案:違法行為や犯罪は時代の進歩とともに対策が強化されたり法律が制定されることによって問題解決する。例)パワハラ対策など

しかし、これによって完全に問題がなくなるわけではないし、また問題が解決したとしても新たな違法行為や犯罪が発案されてイタチごっことなっているのが今の世の中である。

 

結論および解決方法

 

結論から言えばこれは、前回の検証の記事で書いたようにイノベーションなどの項目分類が常識から否定的非常識に格下げになったときに、定量化した数値が下がるということが言える。その分だけ否定的非常識の領域の数値が下がることになる。

つまり、その分が否定的非常識の領域におけるネガティブな要因とも考えられる。

完全に数式で解明できるのかは未知数ではあるが、肯定的非常識や常識にあったポジティブな要因のものの数値が下がった分だけ、否定的非常識のネガティブ要因が増えるということが言える。

もちろん、イノベーションだけで考えたら肯定的非常識の要因としては不十分なので、他のあらゆう要因もできるだけ定性化および定量化して分析するのがいいと言える。

最終的な仮説検証の結論

 

結論から、言えば

 

  1. 非常識均衡はメカニズム的に解明できる可能性はある。
  2. 解明できる可能性はあるが、定量化して数式で解明するのは困難極まる可能性あり。
  3. そして均衡について証明できたとしても否定的非常識の分類項目のうちネガティブ要因の数値が高いままであるという可能性がある。

 

結論は、非常識均衡になってもネガティブ要因を数値化してそれを洗い出さないと世の中が平和でないということになってしまう?!

→ ネガティブ因子指数などまた新たな指標を儲けないといけない?

 

計測方法案

常識、狭義のおっぱっぴー、否定的非常識、肯定的非常識の全体の総量をまず計算して、そのうちの否定的非常識のうちのネガティブ因子の総量を計測する?

ネガティブ因子指数=ネガティブ因子の総量÷全体の総量

 

 

 

つまり、結論から言うと、非常識均衡のメカニズムは常識と非常識の循環がうまく回っているという証明にしかならない?!

※ネガティブ因子とは、否定的非常識に分類されるもののうちネガティブ要因に該当するもの

主に犯罪や違法行為など世の中の問題を悪化させる要因のもの

他の解決案

 

1.イノベーションなどの肯定的非常識の項目分類についても定量化するのはやめる。

→ 常識と同じプロセスで循環し、やがてモデル図から削除される。

 

2.結果として否定的非常識のネガティブ要因が減れば減るほど均衡する?!

 

これらについても検証するのは極めて困難だと思われる。

 

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)2.定性化と定量化~常識と非常識の循環プロセスへの適応

非常識超越平和理論(仮説と検証)2.定性化と定量化~常識と非常識の循環プロセスへの適応

 

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、いかに常識と非常識の分類項目(常識、狭義のおっぱっぴー、否定的非常識、肯定的非常識など)について定性化および定量化を行えるかどうか検討する

 

ポイント:定量化できるものは定量化する。定量化できないものはできる範囲で定性化する。あるいは無理なら他に方法はないか?曖昧な概念を以下に可視化できるか?がポイント。

 

 

ケーススタディ

 

1.暴力殺傷事件

例えば否定的非常識に該当する、暴力傷害事件などについては、被害者の入院費や逸失利益などで計算すれば数量化できる。あるいは加害者のくだされた懲役の刑期などでもはかれる。

 

例)被害者が暴力事件により重傷を負い、2週間入院することとなった。入院費用は保険で支払われる場合もあるが、とりあえず出費すべてで換算すればその被害総額を数値化することで、その暴力事件の残虐度や残忍度の規模=スケールをある程度可視化することができる。あるいは他の方法としては、その加害者の刑法により決定が下された懲役年数などによってもその事件の残額度は計れる。

 

→ これらの数量が大きければ大きいほど世の中の否定的非常識の規模がでかくなってしまっているとみなせるから、法律の罰則強化およびモラルの徹底化が求められる。 

 

 

 

2.発明品やイノベーションの社会貢献度

 

発明品やイノベーションなどの肯定的非常識も世の中にどれだけ貢献するか貢献度ではかれる。

計測方法としては色々と考えられるが、定性化と定量化の二通りが考えられる。

 

  • 定性化:ある発明品Aによりある会社の業務効率化がはかられた。

しかし、これだとどれだけ改善が行われているのか可視化することは難しい。

なので、定量化してみることとする。

  • 定量化:ある発明品Aによりある会社の業務効率化がはかられ、朝の雑用にあてる時間が2時間ほど減り業務効率が2割アップした!

 

もし、これの2割が計測可能ならその分の利益がどれくいなのかおよそ概算で計測可能である。

これがこの発明品のもたらした肯定的非常識の分量として計測可能。

 

→ これらの発明品やイノベーションは本来なら肯定的非常識に分類されるべきものだが、市場にてうまく評価されないと、否定的非常識に分類されることになる。その分が社会の損失となる。

あえて名称をつけるなら肯定的非常識の社会的損失とも呼べる。

 

 

 

3.常識の分量の可視化

 

先ほどの否定的非常識や肯定的非常識のケーススタディーは定量化できて可視化できるものを扱ったが、常識の場合はどうだろうか?

中々定量化できるというイメージがわかない。

定量化できる発明品やイノベーションが市場におけるスタンダードとなり、新たな常識と入れ替わった場合は、その常識は同じように定量化できる。

しかし、慣習や習慣、風習といったものはどうだろうか?

 

例)例えば、ある会社では毎朝朝礼を行うのが社内規定で決まっていて慣習となっていたらどうか?これはある程度定性化できるかもしれない。例えば、毎朝朝礼を行うことで、その日の社員一人一人のスケジュールや自分の業務の割り当てなどを再度確認しやすくなるorあるいはそれによってモチベーションが上がるなど・・・

しかし、これは具体的にどれくらい定量化できるかは未知数である。

 

→ 無理やり定量化するかあるいは定性化するだけにとどめるか・・・

 

4.そもそも定量化できないもの

 

それ以外にも定量化できない常識や慣習などは世の中にいくらでもある。

ある村では、18歳になったら女性は結婚しなければならない、など保守的で古い慣習があったとする。しかし、それはどれくらいの規模とかスケールで表すものではないためそもそも定量化不可能である。他にも、この地域では小さい頃から広島カープを応援するように親から子へ代々伝わる慣習がある・・・など。これらについては定量化できないどころかそもそも規模で測れるものではないため定量化すること自体に何の意味もない。

 

 

定量化できないものはどうすればいいのか?

それは色々な方法が考えられるが、非常に複雑化すると思われる。

先ほどの村の女性の結婚義務については、矛盾指数の統計を取って否定的非常識に再分類されたとする。そうすると、その慣習についてはどれだけの人がそれについて非常識だと思っているのかあるいは不快に感じているのか?というのをあるスケールで計測して定量化する方法が考えられる。

 

→ しかし、このスケールや計測方法は実に多種多様なものがあると思われるために検討が必要。

 

 

しかし、ここで一つ問題があり、もしこの村の女性の結婚義務についてほとんどの人たちが常識だと考えていて、常識に分類されていたとしたらどうなるのか?

そしたら不快に感じるものがいないということになり、そもそもスケールとして計測できないことになる。

 

考えられる解決策:こういった定量化できない事項については、一つの事象=常識を1項目として計測する。例えば、ある常識=事象を1項目として1として換算して計測可能にする=可視化する。

 

 

 

5.現段階で考えられる問題点

 

  • 定性化・定量化パターンは無限にある

そもそも、世の中にある事象や現象、常識といったアバウトな概念のものはあらゆるパターンが発生すると考えられるので、その都度定量化を検討するのは非常に複雑でありそもそもそのパターン自体が特定可能なのかが不明瞭である。

 

→それをどうやって解決するのか検討する必要がある。

 

  • 常識の項目分類が変更後に定量化の維持が困難になる

例えば、ある突出した有益なビジネス手法が編み出され、それが肯定的非常識として市場で評価され出したとする。それを元に起業すればバンバン儲かるみたいな現象が起きて、それがある程度定量化できたとする。例えば、起業して成功した人たちの平均売上や利益などの平均を算出するなど・・・

しかし、この手法が市場のスタンダードとなりやがてそれの人気も時代とともに衰えて、今や狭義のおっぱっぴーや否定的非常識に分類されたとする。そうした場合は恐らく平均売り上げや利益などは激減しているから、したがって定量化しても数値も下がる。

これは一度定量化したもののスケールが、常識の項目分類変更後に変化してしまったことにならないか?

 

問題ないとする考え

例えば、ある突出した有益なビジネス手法が生み出され、それが世界中に100億ドルの利益をもたらしとする。そうしたら、それは100億ドルの肯定的非常識ないし常識=世界のスタンダードに分類されることになる。しかし、それがやがて時代遅れとなり狭義のおっぱっぴー化し、もはや20億ドルの利益しか生み出さないものと化していたとする。

 

この場合は、常識の100億ドル分が減り、代わりに狭義のおっぱっぴーが20億ドル分増えることになる。これは、シーソーの常識の分量が100億ドルから20億ドルに減額されたことになる。つまり、もはやこのビジネス手法は常識として重要な項目ではなくなっているため重要度が下がっている=数値が下がっている=スケールが下がっているとも言える。

さらに、これがもはや時代遅れと認定されればそれが20億ドル以下の数値として否定的非常識に割り振られることとなる。

 

 

知的財産というものがあり、あるイノベーションがなんらかの特許によって保護されていた場合は、肯定的非常識として分類されていても他社には利益としては還元されにくい?

そうした場合はどうやって定量化するのか・・・など。

 

 

 

あるイノベーションがある利益を生んでいたとしても、ビジネスにはあらゆる数字が出てくるため、例えば売上の数字だけ見れば上がっているように見えても、人材が必要なくなったりして採用数が減ったり、あるいは社員がそれに依存して成長しなくなるなど目に見えない数値化できないことが大量に出てくる。

 

 

  • あらゆる業界における肯定的非常識の概念を数量化するのは困難?

 

また、肯定的非常識の概念は、ビジネスだけでなくあらゆる分野の仕事に適応されるので、それらのあらゆる無限に発生するパターンを数量化したり可視化するなどほぼ不可能?

ビジネスなら何となくで数字を扱うことが多いのでまだ数値化しやすいと考えられるが、そもそも数値化しずらい仕事や業界などもたくさんあると考えられる。できる範囲内でやるという線引きが考えられるが、逆に中途半端になりかえって事実が反映されなくなるのでは?と様々な議論がある。

 

 

 

結論:これらを検討し解決していかないと、この常識非常識等の概念を数量化・定量化してモデル化するのは難しいということになる。また、これだけでなく色々なその他問題が仮説検証をする際に問題として起きることが想定される。

 

 

 

非常識超越平和理論(仮説と検証)1.要点整理

非常識超越平和理論(仮説と検証)1.要点整理

 

 

仮説検証の目的:理論が仮説の段階であると認識するとすれば、それをどうやって検証するのか?その道筋を明らかにし、そしてそれによって得られた検証方法をもとに検証活動を行うこと。

 

ポイント:机上の空論ではなくどう現実と照らし合わせて実現可能性を出すか…(;^_^A( ̄▽ ̄😉

 

→これらについては現実と即して考えていく必要があるため、できる限り可能な範囲で政治の勉強を行い、そこから得られた知識および知見を元に、この理論と照らし合わせて実現可能かどうかを検討する。

 

 

考えられる初期案

  • どうやってできるだけ分かりやすく数量化するか、あるいは数量化できないならどうやって分かりやすくなるように可視化するか? 
  • 最適化の概念などが出てくるので経済学を学び直し適応してみる。 → 必要な知識=パレート最適ナッシュ均衡、およびゲームの理論など・・・
  • 統計学も絡むから勉強し直して実現可能性があるかどうか検証する。→ 必要な知識=統計学およびデータ解析など?

 

動画を再度見て要点を整理する。そこからさらなる検証方法を見つける。

 

どうやってできるだけ分かりやすく数量化するか →数量化理論やデータマイニングなどについて学んで何らかの方法がないか検討する。

 

※概念をいかにして数量化できるか?というのが自分の数学や科学の知識だと分からないのですけど、分かる方教えてください! 数量化理論とかデータマイニングと関係するのですか?

 

メリークリスマス!!!~Merry Christmas!!!~P.S. テーマを変えました!!(2021.12.25)

テーマを変えました!!!(2021.12.25)

 

テーマがクールで洗練されていると思ったのでイメージチェンジで変えてみました・・・

背景が黒いため少し文字が読みづらいですが、図が何倍も大きくなり見やすいと思ったので即決しました!!!

よければ、またご覧くださいm(__)m

 

それではメリークリスマス&よいお年を!!!

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最後に~非常識超越平和思想が目指す場所~

 どうも、お久しぶりです。最後の結論を書こうか書かないか迷っていたらあっという間に1年たってしまい、夏季休暇だしコロナだし雨だし外出が全然できないので時間がありまして最後に何か書きたいと思いました。

 

非常識超越平和思想が目指す場所=最終目標

今まで色々な自分の実体験や心に想っていることを元にお話しさせていただきましたが、結局あなたは何が言いたいのか?って言うことをお伝えしてなかったように思います。なので、最後にこの記事を元に今までの内容を総括させていただければと思います。そして、それは結局僕の言いたいことは宗教のような完全な理想を求めているわけでは決してないし、実証しようがないものとして捉えていただければと存じます。

今まで、非常識超越的平和やら非常識超越人などのお話をさせていただきましたが、これらは結局仮説でしかなく本当にその通りになるかどうかは誰にも実証できません。あくまで僕の頭の中で考えた空想の物語です。ですので、これに同調していただくか同調できないか?というのもではなく、あくまでそのような考え方もあるのでは?ということを言いたいのです。

そして、もう一点いいたいことは、それらは現時点では仮説の段階ではありますが、これから実証や検証を重ねることである程度は真実味があり実現可能性も多少は出てくるのではないか?という自分自身の期待もあります。ですが、それには莫大な研究予算や年月という名の時間がかかるのでコスパ的に果たして実証する価値があるのかどうか?という疑問もあります。ですが、私はご存じのように社会不適合者の変人で一般社会から弾き出された経験がありますので、その恨みやそこから生じるハングリー精神も沸々と沸いてでてくる始末なので、それを何としてでも実証したいという想いはかすかにかります。でも、それは所詮自分のエゴにしか過ぎないということも実感してます。

ですので、あくまでこれは実現したいという理想論にしか過ぎずフィクションかもしれないけど、仮説として大いに検証できる可能性も含めて自助努力で実現させたいという想いもあり相反した感情が自分の中にあるということです。そして、それが僕の心の中で葛藤しているのでアルコール依存症という稚拙な病におかされているというのもあると思います。

思想家や哲学者というのは結局心にトラウマという病を抱えたロマンチストというものなのかと思います。でも、だからこそ何かを実現させて世の中を変えたいという壮大な理想を掲げることができます。人一倍何かで病んでいるから同じように病んでいる人たちを救いたい、という想いがここにあります。そして、それは決して嘘ではありません。この思想を元に何か宗教ビジネスでもおこして金儲けをしたいなんて考えはこれっぽっちもありません。そんなことよりも、むしろ世の中をよくしたい願望で脳が埋め尽くされているといった方が正しいかもしれません。

そういった意味では思想家や哲学者というのはそういうロマンチシズムに脳がおかされて支配された中二病の精神病患者とも言えます。でも、だからこそ何か普通の人にはできないすごいものが生み出せるのだ?ということも分かります。

ですので、私の考えはあくまで仮説的な理想論であり宗教みたいに人間の心を支配してコントロールするものではなく、あくまで考え方の一環として捉えていただければ幸いです、ということです。

あえて、この思想を宗教化するのだとしたら、おっぱっぴーイズム(非常識超越平和主義)という名前で定義づけることはできます。これは僕の思想に同調していただける方のイデオロギーを指します。また、おっぱっぴーニズム(非常識超越平和共同体)という言葉の定義もできます。これも非常識超越平和思想に同調していただいた方がつくる共同体=コミュニティーのようなものです。そして、それを実現しようと闘争する革命思想を非常識超越平和革命=おっぱっぴー革命といい、それを実現させるための政治を非常識超越平和政治運動=おっぱっぴー政治運動と言い換えられるかと思います。

ですが、これはどれも現実味がないもので現段階では検証しようがないことです。ですので、僕はあくまで仮説として捉えていただいてそれが実現できるかどうかは自助努力によって少しづつ解明していきたいと思います。

そして、最終的にはどのような努力をしたところですべてを解明できるとは思っていません。ですので、ある程度色々なことが分かったとしても、それはあくまで部分的な話であって全体の話には到底及ばないと思います。ですので、これはあくまで仮説的な理想論であり解明できる部分は解明していきたいですし、不可能な部分は不可能として切り捨てるべきだと思います。そして自助努力により仮説検証と解明努力により、実現可能な部分と実現不可能な部分が取捨選択できた段階ではじめて思想哲学の理論として成り立つものだと思っております。

そして、最終的にはこれらをベースに色々な人の思想の考え方として参考にしていただけるように是非頑張りたいと思います。プロフィールをご覧の皆様は理解していただけたら幸いですが、自分はご存じのように色々なトラウマを抱えていて長年精神病とアルコール依存症を患っております。ですので、本当にそのように悩み苦しむ人たちを助けたいという想いも少なからずあるのでこのような思想を考えたということをお伝えしたく、これにてこのブログ記事を締めくくりたいと思います。

長い間お忙しい中お読みいただきありがとうございましたm(__)m

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非常識超越次元方程式=この世の解

非常識超越次元方程式=この世の解とは?

 こんばんは、おっぱっぴー芸術思想家KeithUでっす。また続けて連投したいと思います。前回の内容に続くものなので・・・

 今回のテーマである非常識超越次元方程式とは・・・?これはつまり非常識超越的平和の解へと導くための方程式のことです。だからこの世の解なのです。これが解ければこの世の平和が導き出されるからです。別名おっぱっぴー方程式とも言います。そして、それは非常識超越人=超おっぱっぴ-人にしか解を求められないものだとされております。幾度となく人類が挑戦してきて何度も挫折と失敗を繰り返しながら、それでも必死に求め続けてきたこの世の平和への回答・・・それは果たしてこの世にあるのか?誰にも分からないです。宗教でも答えになっているのかどうか?すら我々にはもはや分かりません。そんな超次元的な概念ですらあります。

 そして、先ほどの記事でも申し上げたように、非常識超越人が到来するのを待つより先に、我々全人類が知恵を総結集させればおのずと同じような超次元的な答えを導き出せる可能性もゼロではありません。たった一人の大天才よりも、我々凡人が何十億人も集まって知恵を出し合って世界規模で平和的運動を起こせばそれ以上の超絶的な平和的パワーが生み出せる可能性もあります。つまり可能性は無限大なのです。奇跡は起こせる可能性だってあるのです。

 さあ、我々みんなでこの世の解を解き明かしませんか?

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この世の鍵を解くイメージ図

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English Translation

#14 No common sense transcendental dimensional equation

 

What is the theme of this time, no common sense transcendental dimensional equation...? This is the equation that leads to the solution of no common sense transcendental peace. Therefore, it is the solution of this world. If this is solved, peace in this world will be brought out. And it is said that only no common sense transcendent human can find a solution. Humankind has tried many times, and despite repeated setbacks and failures, it has desperately sought the answer to peace in this world...is it really possible in this world? Who knows. Is religion the answer or not? We don't even know anymore. It is such a hyperdimensional concept. ​​​​​​
 
And, as I mentioned in the previous article, before waiting for the arrival of no common sense transcendental human, if all of us human beings gather their wisdom, there is a possibility that we can naturally derive a similar hyperdimensional answer. If billions of us ordinary people gather together and share their wisdom and start a peaceful movement on a global scale, there is a possibility that we can create a transcendental peaceful power that is greater than that of a single genius. So the possibilities are endless. Miracles can even happen.


"Now, why don't we all unravel the solution of this world?"