非常識超越平和思想のすべて~遥かなるおっぱっぴーの世界へといざなう~

はじめまして。おっぱっぴー芸術思想家KeithUと申します。自分なりに考えた平和思想を綴りたいと思います。10年間、いろいろ宗教や思想や哲学、政治などを学んだ結果、それをベースに自分で世の中がどうすればよくなるのか?平和になるのか?という観点でオリジナルの思想を考えてみました。おっぱっぴー平和思想=非常識超越平和思想or非常識超越平和理論といいます。ツイッターでは天才とある程度評価されていて、令和哲学者ノ・ジェス氏の関係者の方にSAMURAI1000に推薦された経験あります。

非常識超越平和理論(仮説と検証)7.常識と非常識の循環プロセスの定期的サイクル=流れと計上=最終評価について

非常識超越平和理論(仮説と検証)7.常識と非常識の循環プロセスの定期的サイクル=流れと計上=最終評価について

仮説検証の目的:常識と非常識の循環プロセスにおいて、年間など定期的サイクルを通してのその動きの流れと最終評価について、仮説の通り可能かどうかを検証する。

 

ポイント:「常識と非常識の循環プロセスと非常識均衡のメカニズムについての検証」においては、簡単な事例や数字データを元にそのサイクルのメカニズムを検証してみたが、より詳細に年間などの定期的サイクルを想定した上で全体の流れを追ってみる。

 

 

方法:簿記の借方・貸方のイメージはそのままで年間などの定期的サイクルをイメージしながらその流れを追い、それが最終的に計上=最終評価できるかを検証する。

 

 

<前回の事例を全部まとめる>

まずは、前回の事例を一度まとめてみる。方法は前回と同様に簿記の借方・貸方を応用してイメージしたシーソーのモデルで考えてみる。前回同様、下線の下部部分の左の領域を否定的非常識、右の領域を肯定的非常識、下線の上を常識の領域とする。

※前回と違い、今回は狭義のおっぱっぴーについても考察することとする。今回は下線の上の部分を二段階にわけて上部を常識の領域とし、下部の下線を引いた赤文字の項目が狭義のおっぱっぴーとする。

前回は書き忘れたが、このシーソーのモデルの数字の図を仮にシーソーのバランスシートと呼ぶこととする。

 

1.何らかのまだ起きていない未知の犯罪対策のために発明品70分が開発された。

2.世の中に感動を与えるハッピーなイベントAが発生した。

3.ある街で不法投棄が起こり被害額は200だった。

4.ある3つの村では女性は18歳になると結婚しなくてはいけない風習があったとし、村Aにとっては常識、村Bにとっては否定的非常識、村Cにとっては肯定的非常識となる。

5.国の法律により消費税が20%まで跳ね上がり、国勢調査およびネット世論により狭義のおっぱっぴーへと分類された。

6.麻薬取締法が制定されているが、麻薬犯罪は中々なくならないため法律も永遠に存続し続ける。

7, 世界中の統計データを分析してみたところ、世界の内200か国については軍事や国防は常識的に国の治安維持のために必要悪だと考えているとする。その場合は常識として計上される。しかし、5カ国は常識と思いながらも違和感を感じているので狭義のおっぱっぴーに分類される。そして、1カ国のみは恒久的な平和を望んでいるため否定的非常識に分類される。

 

                                           4.村Aの結婚の風習:1

                                           6.麻薬取締法:1

                                           7.軍事200か国:200

                      5.消費税20%:1

                                           7.軍事5カ国:5

3.不法投棄:200

4.村Bの結婚の風習:1

6.麻薬犯罪:1

7.軍事1カ国:1

 

 

 

1,発明品:70

2.イベントA:1

4.村Cの結婚の風習:1

 

 

以上、以前の検証の記事で事例として挙げたものを少しだけアレンジしてシーソーの表に書き込んでみた。

 

<この表から分かること>

まず、この表を1~7のイベントを順に追ってみる。

  1. 発明品70については犯罪予防効果が70あると見積もられているが、まだ未知の犯罪であるために肯定的非常識にあらかじめ70計上されている。これはシーソーが右に傾く効果があるが、世の中にとっては前もって犯罪対策ができているので特に問題ない。
  2. 2についてはある感動的なイベントAが発生したとするが、どのくらいの感動なのか定量化するのが難しいためとりあえず1として計上している。これは、このイベントによりどれくらい世の中の幸福度があがり社会の不満がなくなったり、社会問題の解決に寄与するのか計上できれば、ネガティブ因子と紐づけることができるのである程度定量化できるが、今回のケースは計測不可能とされた。1として肯定的非常識に計上されるため世の中の幸福度に貢献している。しかし、いつまでも肯定的非常識にとどまったままではなくいずれこのイベントは感動というよりむしろ当たり前の規則的なしきたりの行事へと変わって行ったら常識や狭義のおっぱっぴーへと変更されていくだろうし、それもやがてもはやすたれた行事とみなされれば否定的非常識となり、これがやがて世の中からなくなればモデル図から削除される。もちろん、このイベントが世間に感動を与えていても予算などの問題で中止されたとすると、肯定的非常識に分類されているのにモデル図から削除されることとなる。
  3. これは不法投棄がある街で起きているが、その市の行政は対応が遅れていて条例を制定してないためこの不法投棄問題に対処しきれてない状態である。そのため、被害額がそのまま否定的非常識として計上される→世の中のネガティブ因子
  4. 村の結婚の風習については以前の記事で説明したので省略する。
  5. 消費税20%は狭義のおっぱっぴーに分類されているものの、まだ何ら対策がされてないので法改正も行われていない状態である。これは国や政治に対する国民の潜在的反発量とも考えられる。後述の潜在的国民反発量(or対政府国民反発量)にて詳しく説明する。
  6. 麻薬取締法が制定されているが、法律だけでは犯罪に対処しきれていないので麻薬犯罪がネガティブ因子として永遠に残り続ける。しかし、麻薬取締法が法改正されて刑罰が強化されたとすると、被害が減る可能性もある。その場合は、麻薬犯罪の被害額の増減を定量化することが可能なら数値化して計測した方が世の中の問題を可視化しやすい。
  7. 200か国は常識として分類されているが他の5カ国は狭義のおっぱっぴーとして計上され、1カ国は否定的非常識として分類される。これくらいの割合ならほぼ問題ないが、これが仮にほとんどの国が軍事に反対する世界になったとすると、200か国近くが否定的非常識に分類されることになる。そうなると、もはや軍事についてはほとんど世界中が反対していることになるので、世界の平和を維持するためにはもはやもはや軍事以外のシステムを新たに構築する必要があるということになる。

 

 

<仮に計上=最終評価をしてみる>

ここで、ここで分類されたものが定期的サイクルの最終結果として一旦計上=最終評価をしてみる。この計上=最終評価というのは、この常識と非常識の循環プロセスがどれくらい効率的にサイクルを回っているのかを分析するのと同時に、シーソーのバランスやその他の世の中のポジティブネガティブ度合いなどを図る指標などを計上することである。

定期的というのは、会計の決算のようにある年度末など定期的にこの表を計上してチェックするとどれくらいサイクルが回っているのかその変遷と変化を見て取れることができるし、その年度末における世の中の状態を把握することにもつながる。

 

 

           4.村Aの結婚の風習:1

                                6.麻薬取締法:1

                                7.軍事200か国:200

           5.消費税20%:1

                                7.軍事5カ国:5

3.不法投棄:200

4.村Bの結婚の風習:1

6.麻薬犯罪:1

7.軍事1カ国:1

 

 

 

1,発明品:70

2.イベントA:1

4.村Cの結婚の風習:1

 

 

定量化したものと定量化できなかったものを合算する

 

単純にすべての数字を足し合わせて計算してみる。

 

常識:1+1+200=202+1+5=208

狭義のおっぱっぴー:1+5=6

肯定的非常識:70+1+1=72

否定的非常識:200+1+1+1=203

 

常識と非常識

単純にまず比較すべきは常識と狭義のおっぱっぴーの差や割合である。

常識の量202に比べて圧倒的に少ないとはいえ6の数字が「常識の中の非常識」として認識されている。割合的に言えばおよそ2.97%である(6÷208×100=2.88%)

→ これを「常識の中の非常識率」あるいは「狭義のおっぱっぴー率」とも呼べる。

 

肯定的非常識と否定的非常識

単純に肯定的非常識の72に対して否定的非常識は203なのでシーソーが左に傾いている仮の非常識均衡になっていると思われる。これはシーソーのバランスシート的に言えばあまり好ましくない状態である。この図は事例としてはシンプルなので単純に見れば発明品の分70に対して、不法投棄200分が対処されてないので、その分がネガティブ要因として働いていると考えられる。

 

 

想定される問題

ここで考えられる問題は、定量化したものと定量化できなかったものを合算すると定量化できる項目の中の外れ値の影響を多大に受けてしまうということである。

 

例)例えば常識の割合が100で狭義のおっぱっぴーが80の状態だったとすると、狭義のおっぱっぴー率は80%となり非常にバランスの悪い不健全な社会になるが、そこに例えば1億などかなり莫大な数字で定量化できる常識が発生したとする。そうなると狭義のおっぱっぴー率は80%から限りなく0%に近づくこととなり、あまり社会全体の現状を正確に反映しているとは言い難い。これはこの1億で定量化できる常識が発生したことにより外れ値が生じて平均がいびつになったからだと思われる。

 

つまり、結論から言えば定量化できるものと定量化できないもので分けて分析して、合算したものについてはあくまで全体の大まかな指標として捉えるべきである。

しかし、この全体の合算したものでしか全体の流れを把握することはできないのでやはり全体像を知る上では重要な指標となる。

 

つまり以下のように結論付けることができる。

 

全部を合算したもの:全体像の流れの把握とサイクルが上手く回っているかの度合い

定量化できるもののみで合算したもの定量化できるもののみの流れの把握と定量化できるもののサイクルが上手く回っているかの度合い

定量化できないもののみで合算したもの:定量化できないもののみの流れの把握と定量化できないもののサイクルが上手く回っているかの度合い

 

特に、常識の中の非常識率=狭義のおっぱっぴー率については全部を合算したものは影響を受けやすいと考えられる。

 

 

 

定量化したもののみを合算する

 

定量化したもののみで合算してみる。

 

常識0

狭義のおっぱっぴー:0

肯定的非常識:70

否定的非常識:200

 

先ほどとは打って変わってシンプルである。

常識や狭義のおっぱっぴーは0ということになる。

これは定量化できるもののうち常識や狭義のおっぱっぴーに該当するものがなかったということを表す。

 

対して、肯定的非常識は70に下がり、否定的非常識も200に下がる。

これは単純に数値化できるものの総額としてネガティブな要因の方が勝っていることを表している。今回のケースの場合は定量化できいないものの数量が極端に少ないため合算したものと比べてあまり違いはみられない。

 

 

 

 

 

 

 

定量化できなかったもののみを合算する

 

定量化できなかったもののみで合算してみる。

 

常識:1+1+200=202

狭義のおっぱっぴー:1+5=6

肯定的非常識:1+1=2

否定的非常識:1+1+1=3

 

 

まず、狭義のおっぱっぴー率についてはどちらも定量化できなかったものなので、全体での計算結果と違いはない。

肯定的非常識と否定的非常識の対比に関しては、全体での計算結果と違い数字的にあまり違いがみられなくなった。これは定量化できるものの数字が除去されたことに起因する。

なので、単純に否定的非常識の数字が下がった=いいという意味にはならない。

こういう場合は先述のネガティブ因子指数ネガティブ因子比率などで数値化してみると分かりやすい。

 

 

ネガティブ因子指数

ネガティブ因子÷全体量×100

 

定量化できなかったもののみを合算した場合

3÷213×100=1.4%

 

全体で合算した場合

203÷483×100=42%

 

この結果から、ネガティブ因子指数の割合で見るとやはり定量化できないもののみで合算した場合は、ネガティブ要因の割合が少なくみてとれる。それでは、ネガティブ因子比率でみるとどうなるか?

 

ネガティブ因子比率

ネガティブ因子÷ポジティブ因子×100

 

 

定量化できなかったもののみを合算した場合

3÷2×100=150%

 

全体で合算した場合

203÷72×100=281%

 

この場合も、ネガティブ要因の割合が下がっている。

このように実際に数字で対比させてみるともっとはっきりと分かる。

定量化できなかったものは数字1ですべて換算されているため、定量化できるものの数字を除去するとポジティブ因子とネガティブ因子の数字にあまり違いがなくなるようにみえるが、実際にこのように対比させることでその影響度を取り除いた結果が分かる。

そして、実際には割合的には下がっているものの実情はネガティブ因子の方がポジティブ因子より150%多い=1.5倍となっているわけなので、実情はあまり世の中的にはよくないとも言える。

 

 

 

 

問題点

 

1,定量化できないもので1として計上した分類項目でもそれぞれ価値が違うので全部一様に1として計上していいのか?例えば、同じようなイベントが二つあったとしてもあるイベントAは世の中にものすごく感動を与えたとして、一方イベントBはそこまでの感動が起きなかったとすると、同じ内容のイベントであってもポジティブ要因としては量的に違う性質のものと考えられる。この場合はどのように計上したらいいのか?→できるだけ定量化した方が世の中のポジティブ要因やネガティブ要因の総量を可視化することができる。しかし、あらゆる項目を定量化するのは方法としては計測するのが困難で、計上するときも手続きが煩雑になる可能性がある。

 

2.項目によって常識と非常識に循環プロセスを回るスピードや変更頻度、または変更するタイミングやそのパターンや傾向などは実に様々であり、単純に循環プロセスをうまく回っているかどうかを把握するのはモデル図だけでは把握できない?→モデル図がうまく循環している=あらゆる項目がうまく平均的に回っているという仮定のもとに最終評価する。

つまり、あくまでアバウトな概念であり平均的にはこうだ、という結論でしかない。

しかし、それでもこのモデル図だけでアバウトには世の中の動きの流れが可視化できる。